アリカ・チャカジュタ国際空港でレンタカーを借り、いよいよアンデス山中の村プトレを目指すドライブが始まります!
道中ガソリンスタンドの全くない地域を走るので、一旦アリカ市街の「エル・パソ "El Paso"」というホテル内にあるレンタカー会社のオフィスへ立ち寄ってガソリンを入れる追加の補助容器(という名のポリ容器でしたが…;;)を受け取り、ついでにチリ自動車連盟? "Automovil Club de Chile" のアリカ支部で道路地図を入手しました。
ひととおりの準備を済ませてからオフィスを出発、途中のガソリンスタンドでポリ容器にガソリンを入れてからプトレに向けて走り出しました。
<アリカ~プトレの地図-1>
(地図表示後「航空写真」とするとこの地域の乾燥具合が良く分かると思います)
(地図の縮尺は適宜調節してください)
<アリカ~プトレの地図-2>
(アリカ市街にあるホテル「エル・パソ "El Paso"」の前からプトレまでを走ったルートです)
(リンク先の地図で左にある「3D」ボタンクリックで3D再生され、ルートの地形がよりはっきり掴めます)
______________________________________________
【謹告】
この記事で紹介したプトレは、標高が3,600mを超える高地で非常に厳しい自然条件下にあり、特に高山病を発症する危険の高い地域です。
この地域(当然ながら他の高地でも同様です)に関心をお持ちになってご旅行を決断された場合は、渡航前に高山病に対する理解を深めておかれますよう、強く警告します。
高山病は最悪の場合死に至ることもあり、対応を誤ると危険な疾患です。
せっかくのご旅行を台無しにしないためにも、くれぐれも軽くお考えにならずに高山病についての理解を得た上で、この地域の素晴らしさを存分に実際の肌でお感じになり、お楽しみになれますことを心から願っています。
下記のリンクは、私が旅行前に参考にした日本旅行医学会のコラムです。
読み易い文章で良く纏められていて、高山病の予防薬についての言及もあります。
高山病で死なないために (日本旅行医学会)
なお、この記事やこの謹告をお読みになって為された行為により生じたいかなる事象や結果について、弊ブログと管理人は一切の責を負いません。
______________________________________________
この旅行時の相棒である、スズキの「グランド・ビターラ "GRAND VITARA"」、日本では「エスクード」ですね。
私が海外で初めて運転した車です!
それにしても、まさか地球の裏側で日本車に当るとは!…と、ちょっぴり感激w
アンデス高原地帯を走行するハードな高地ドライブをものともせず、快調に走ってくれました♪
因みに、左ハンドル車の運転もこの時が初めて(当然右側走行も初)で、ウインカーを出そうとしてワイパーをしょっちゅう作動させていましたw
無意識に右手が動くんですよね…体に染みついた慣れというのは意識しても中々直らないことを痛感しました。
アリカ市街とチャカジュタ国際空港やペルー方面とを結ぶパナメリカーナ(パン・アメリカン・ハイウェイ)から分かれて、アリカからボリビアへ抜ける国際道路11号線(以下「11号線」といいます)に入ります。
パナメリカーナでも、アリカ市街を外れると沿線は砂漠の平原と化しますが、パナメリカーナから分岐する11号線に入ると、巨大な砂丘のような砂と岩の山が道路の両側から近付いてきて、乾いた渓谷のような地形の底をしばらく走行します。
道路は大陸らしく、一直線に伸びていきます。
なお、パナメリカーナはアリカから南へも、サンティアゴ方面へ向けてチリの国土を縦貫しています。
このあたりでは、11号線の右側をアリカとボリビアのラパスとを結んでいた鉄道の線路が並行しています。
南米ではかなり貴重な存在となってしまっていた、旅客を乗せる鉄道の数少ない生き残りの1つだったこの路線、できれば乗りたいとも思っていました。
しかし、確かこの旅行の前年だったと記憶しているのですが、アリカ一帯を襲った大地震で被災後復旧せず以後運行休止となってしまい、乗車は果たせませんでした(T。T)
走るうちに、砂の壁は道路のすぐ端にまで迫ってきました!
今にも崩れてきそうな砂地の山を道端から見上げていますが、特に道路を防御する術は施されていませんでした;
スケールが大き過ぎて、施しようもなさそうです。。。
このように地表はカラカラに乾燥していますが、地下水を汲み上げて灌漑農業が行なわれ、野菜等を栽培していました。
植物にも厳しい自然環境の中、キッチリ水を引いた所だけが鮮やかな緑の絨毯となって、草木一本生えていない周囲の山とのコントラストが際立ちます。
圧倒的なスケールで立ちはだかる、砂を纏った屏風のような山…というより崖、でしょうか…;
写っている電柱は、日本で普通に見られる電柱とほぼ同じ位の高さがあります。
圧迫されるような迫力にただただ気圧されるばかりでした。
このオアシスのような緑の渓谷をしばらく走行した後、11号線は砂地に覆われた斜面に九十九折りのヘアピンカーブを刻みながら一気に高度を稼ぎます。
アリカの港と内陸国ボリビアとを結ぶ幹線道路だけあってトラック等の大型車両の通行も多く、流石にこのカーブが連続する区間を立ち止まっての撮影は控えましたが、樹木が全く生えていない砂の斜面なので、坂を登りきった位の高さまで来ると、眼下には登ってきたヘアピンカーブの連なりや谷底に細長く広がる緑の農地を眺めることができました。
乾いた景観が珍しくてあちこち立ち寄りながら、パナメリカーナから分岐して約1時間半が経過し、このあたりの海抜は2,500m位になっています。
海岸で海抜0mともいえるアリカから約70km程の地点です。
相変らず不毛の斜面ですが、打ち付けられた釘のような「カンデラブロ "candelabro"」と呼ばれるサボテンが疎らに生えています。
アリカから140km程の道程を約3時間の所要で、海抜3,500mのプトレ "Putre" に到着しました!
宿泊したホテル「オステリア・ラス・ビクーニャス "Hosteria las Vicuñas"」の部屋。
照明とヒーター以外に電化製品は存在せず、とても静寂に満ちていてゆったりと高度順化できました^^
シャワーもきちんとお湯が出て、冷えた体には大変ありがたかったです!
この日は大晦日、南半球では真夏のはずですが、流石に富士山頂とほぼ同じ位の海抜3,500mともなると、室内でもセーター着用の上で暖房が欠かせなかったです;
このホテルは宿泊する部屋が独立したコテージになっていて、建ち並んだコテージの裏山では放されていた牛さん達がのんびりと草を喰んでいました。
宿泊した部屋から眺めた山の斜面には、プトレまで走ってきた11号線が穿った直線状の筋が見えていました。
海抜3,000mを超える頃になると、それより低地では砂色一色だった地表に草が生え始め、山々もその山肌は緑に包まれた姿となります。
プトレで買い物をして家路に就いているのでしょうか、部屋の前のぬかるんだ路を親子連れがプトレとは反対の方向へと歩き去っていきました。
仲良く手を繋いで行く姿が微笑ましかったです^^
数時間前にはその気配すらなかったのが信じられないことに、プトレに着いた頃には少し小雨模様だったのですが、夕刻にはすっかり上がって抜けるような青空をバックに山々が西日に照らされ、美しい輝きを放っていました!
青空にはうっすらと虹も架かっています。
何ともいえない紅に、西の空が染まっていきます。
快晴となった暮れゆく2002年の大晦日、アンデス山中のそれは幻想的な夕焼けでした!
11号線が山の斜面に穿つ切り欠きが、ここでもはっきりと見てとれます。
この後食堂へ赴き夕食を摂りました。
この山の宿で供された主菜は何とサーモン(チリ産でしょうかw)のソテー。
…魚臭くもなく、美味しくいただきました。
それから、高度順化中で少し息苦しくフラつき気味だった体に優しく染み渡るような、温かいトマトベースのスープの濃厚な味が、既に9年近く経過している2011年に至ってもなお忘れ難く記憶に残っています!
食事を終えた頃にはすっかり夜の帳が下りていて、まさに星降る夜といった趣であった満天の星空を、寒さも忘れてしばらくの間見入っていました。
音のない年の瀬の、神秘的とも思えるひと時でした。
道中ガソリンスタンドの全くない地域を走るので、一旦アリカ市街の「エル・パソ "El Paso"」というホテル内にあるレンタカー会社のオフィスへ立ち寄ってガソリンを入れる追加の補助容器(という名のポリ容器でしたが…;;)を受け取り、ついでにチリ自動車連盟? "Automovil Club de Chile" のアリカ支部で道路地図を入手しました。
ひととおりの準備を済ませてからオフィスを出発、途中のガソリンスタンドでポリ容器にガソリンを入れてからプトレに向けて走り出しました。
<アリカ~プトレの地図-1>
(地図表示後「航空写真」とするとこの地域の乾燥具合が良く分かると思います)
(地図の縮尺は適宜調節してください)
<アリカ~プトレの地図-2>
(アリカ市街にあるホテル「エル・パソ "El Paso"」の前からプトレまでを走ったルートです)
(リンク先の地図で左にある「3D」ボタンクリックで3D再生され、ルートの地形がよりはっきり掴めます)
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【謹告】
この記事で紹介したプトレは、標高が3,600mを超える高地で非常に厳しい自然条件下にあり、特に高山病を発症する危険の高い地域です。
この地域(当然ながら他の高地でも同様です)に関心をお持ちになってご旅行を決断された場合は、渡航前に高山病に対する理解を深めておかれますよう、強く警告します。
高山病は最悪の場合死に至ることもあり、対応を誤ると危険な疾患です。
せっかくのご旅行を台無しにしないためにも、くれぐれも軽くお考えにならずに高山病についての理解を得た上で、この地域の素晴らしさを存分に実際の肌でお感じになり、お楽しみになれますことを心から願っています。
下記のリンクは、私が旅行前に参考にした日本旅行医学会のコラムです。
読み易い文章で良く纏められていて、高山病の予防薬についての言及もあります。
高山病で死なないために (日本旅行医学会)
なお、この記事やこの謹告をお読みになって為された行為により生じたいかなる事象や結果について、弊ブログと管理人は一切の責を負いません。
______________________________________________
この旅行時の相棒である、スズキの「グランド・ビターラ "GRAND VITARA"」、日本では「エスクード」ですね。
私が海外で初めて運転した車です!
それにしても、まさか地球の裏側で日本車に当るとは!…と、ちょっぴり感激w
アンデス高原地帯を走行するハードな高地ドライブをものともせず、快調に走ってくれました♪
因みに、左ハンドル車の運転もこの時が初めて(当然右側走行も初)で、ウインカーを出そうとしてワイパーをしょっちゅう作動させていましたw
無意識に右手が動くんですよね…体に染みついた慣れというのは意識しても中々直らないことを痛感しました。
アリカ市街とチャカジュタ国際空港やペルー方面とを結ぶパナメリカーナ(パン・アメリカン・ハイウェイ)から分かれて、アリカからボリビアへ抜ける国際道路11号線(以下「11号線」といいます)に入ります。
パナメリカーナでも、アリカ市街を外れると沿線は砂漠の平原と化しますが、パナメリカーナから分岐する11号線に入ると、巨大な砂丘のような砂と岩の山が道路の両側から近付いてきて、乾いた渓谷のような地形の底をしばらく走行します。
道路は大陸らしく、一直線に伸びていきます。
なお、パナメリカーナはアリカから南へも、サンティアゴ方面へ向けてチリの国土を縦貫しています。
このあたりでは、11号線の右側をアリカとボリビアのラパスとを結んでいた鉄道の線路が並行しています。
南米ではかなり貴重な存在となってしまっていた、旅客を乗せる鉄道の数少ない生き残りの1つだったこの路線、できれば乗りたいとも思っていました。
しかし、確かこの旅行の前年だったと記憶しているのですが、アリカ一帯を襲った大地震で被災後復旧せず以後運行休止となってしまい、乗車は果たせませんでした(T。T)
走るうちに、砂の壁は道路のすぐ端にまで迫ってきました!
今にも崩れてきそうな砂地の山を道端から見上げていますが、特に道路を防御する術は施されていませんでした;
スケールが大き過ぎて、施しようもなさそうです。。。
このように地表はカラカラに乾燥していますが、地下水を汲み上げて灌漑農業が行なわれ、野菜等を栽培していました。
植物にも厳しい自然環境の中、キッチリ水を引いた所だけが鮮やかな緑の絨毯となって、草木一本生えていない周囲の山とのコントラストが際立ちます。
圧倒的なスケールで立ちはだかる、砂を纏った屏風のような山…というより崖、でしょうか…;
写っている電柱は、日本で普通に見られる電柱とほぼ同じ位の高さがあります。
圧迫されるような迫力にただただ気圧されるばかりでした。
このオアシスのような緑の渓谷をしばらく走行した後、11号線は砂地に覆われた斜面に九十九折りのヘアピンカーブを刻みながら一気に高度を稼ぎます。
アリカの港と内陸国ボリビアとを結ぶ幹線道路だけあってトラック等の大型車両の通行も多く、流石にこのカーブが連続する区間を立ち止まっての撮影は控えましたが、樹木が全く生えていない砂の斜面なので、坂を登りきった位の高さまで来ると、眼下には登ってきたヘアピンカーブの連なりや谷底に細長く広がる緑の農地を眺めることができました。
乾いた景観が珍しくてあちこち立ち寄りながら、パナメリカーナから分岐して約1時間半が経過し、このあたりの海抜は2,500m位になっています。
海岸で海抜0mともいえるアリカから約70km程の地点です。
相変らず不毛の斜面ですが、打ち付けられた釘のような「カンデラブロ "candelabro"」と呼ばれるサボテンが疎らに生えています。
アリカから140km程の道程を約3時間の所要で、海抜3,500mのプトレ "Putre" に到着しました!
宿泊したホテル「オステリア・ラス・ビクーニャス "Hosteria las Vicuñas"」の部屋。
照明とヒーター以外に電化製品は存在せず、とても静寂に満ちていてゆったりと高度順化できました^^
シャワーもきちんとお湯が出て、冷えた体には大変ありがたかったです!
この日は大晦日、南半球では真夏のはずですが、流石に富士山頂とほぼ同じ位の海抜3,500mともなると、室内でもセーター着用の上で暖房が欠かせなかったです;
このホテルは宿泊する部屋が独立したコテージになっていて、建ち並んだコテージの裏山では放されていた牛さん達がのんびりと草を喰んでいました。
宿泊した部屋から眺めた山の斜面には、プトレまで走ってきた11号線が穿った直線状の筋が見えていました。
海抜3,000mを超える頃になると、それより低地では砂色一色だった地表に草が生え始め、山々もその山肌は緑に包まれた姿となります。
プトレで買い物をして家路に就いているのでしょうか、部屋の前のぬかるんだ路を親子連れがプトレとは反対の方向へと歩き去っていきました。
仲良く手を繋いで行く姿が微笑ましかったです^^
数時間前にはその気配すらなかったのが信じられないことに、プトレに着いた頃には少し小雨模様だったのですが、夕刻にはすっかり上がって抜けるような青空をバックに山々が西日に照らされ、美しい輝きを放っていました!
青空にはうっすらと虹も架かっています。
何ともいえない紅に、西の空が染まっていきます。
快晴となった暮れゆく2002年の大晦日、アンデス山中のそれは幻想的な夕焼けでした!
11号線が山の斜面に穿つ切り欠きが、ここでもはっきりと見てとれます。
この後食堂へ赴き夕食を摂りました。
この山の宿で供された主菜は何とサーモン(チリ産でしょうかw)のソテー。
…魚臭くもなく、美味しくいただきました。
それから、高度順化中で少し息苦しくフラつき気味だった体に優しく染み渡るような、温かいトマトベースのスープの濃厚な味が、既に9年近く経過している2011年に至ってもなお忘れ難く記憶に残っています!
食事を終えた頃にはすっかり夜の帳が下りていて、まさに星降る夜といった趣であった満天の星空を、寒さも忘れてしばらくの間見入っていました。
音のない年の瀬の、神秘的とも思えるひと時でした。
気がつくと右側走行してることも(汗)
スズキって国内よりも外国の方が強いみたいですね。
ギリシャ、特に島でのレンタカーはスズキだらけでした。
一面乾いた岩肌と砂の世界の中で緑を見ると、ホッとしますね。
この美しい夕焼けは、神様からtaろうさんへの『一年お疲れさまでした!』という労いの気持ちだったのでしょう。
世界のどんな贅沢な食事より、その時体が欲しているものが一番美味しいのだということに最近気がつきました。
きっと同じトマトスープを今日本で飲んでも、この時の感動は味わえないでしょうね。
ギリシャのレンタカーはスズキだらけですか…小型車メーカーの強みを生かした巧みな営業をしているようですね。
谷底の緑は、厳しい環境の中で潤いある生活を営々と築き上げた地元の方々の努力と誇りの賜物のように思えて、その貴重さを愛おしむ気持ちを自然に抱きました。
プトレの夕焼けや夜空は、大袈裟かもしれませんが、空との近さや空気の透明感を、低地よりも、確かに感じられたと思える程素晴らしかったです!
仰るとおり、体が求めるからこそより強く美味しさを感じられるのでしょうね。
この時のトマトスープを超えるトマトスープには、未だ出会えていませんw