必ず来るという南海トラフ地震。このコラムは故郷の母に向けて書いたものです。
「津波の記憶」故郷の祭りの残る先祖の教え!
東北最大の流域を誇る北上川には河口が二つある。ひとつは旧北上川とよばれ、宮城県石巻市の市街地を流れて石巻湾に注ぐ。もう一つは牡鹿半島をへだてた北側の追波湾に注ぐ新北上川だ。
東日本大震災による津波で、児童と教職員計八十四人が犠牲となった同市立大川小学校の悲劇。津波にのまれながら助かった四人の児童の一人Tくんの祖父、只野弘さんは新北上川の河口域でシジミ漁をされていた。二〇一一年に先立つ数年間、私は只野さんの漁場でシジミなどの生物調査をしていた。多い年には、年間で二カ月ほども大川小学校に近い宿に滞在していたが、震災後、現地を訪ねると、河口域の地形は元の形をとどめず、亡くなった只野さんのお住まい一帯は跡形もなく流出していた。
私は浜名湖北岸の町で生まれ育った。氏子として山車をひいていた細江神社に祭られているのが「地震の神様」であると知ったのは、成人してよその地に暮らすようになってからだ。
細江神社のご神体は、元は浜名湖の湖口(静岡県湖西市)に祭られていた。一四九八(明応七)年の大地震・大津波で流出、湖内の村櫛半島に漂着して仮宮で祭られる。一五〇九(永正六)年、再度の津波で流されて、細江町内(浜松市)の赤池という場所に流れ着く。それを現在の場所に祭ったのが、細江神社だと社伝は伝える。
淡水湖だった浜名湖が、海とつながって汽水湖となったという大災害。明応大地震で津波が来襲したという場所が赤池だ。そして、五百年前の大災害を今に伝えているのが赤池で執り行われている神事なのだろう。
現在の科学では地震は予見できない。しかし、災害の記憶を留め、安全な場所を後の世に伝えていくという試みを先祖たちは続けてきた。近い将来に必ず起こるという南海トラフ地震。この場所までは津波が来るのだという教えを、故郷の祭りの中に見たのだった。(魚類生態写真家)
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