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100110ああ言えば,こうゆう第2部(西村幸祐トークライブ)

2010年01月13日 | 過去記事倉庫
100110ああ言えば,こうゆう第2部(1)(西村幸祐トークライブ)


100110ああ言えば,こうゆう第2部(2)(西村幸祐トークライブ)


100110ああ言えば,こうゆう第2部(3)(西村幸祐トークライブ)



100110ああ言えば、こうゆう第2部(4)(西村幸祐トークライブ)


100110ああ言えば,こうゆう第2部(5)(西村幸祐トークライブ)





石平先生1/13

2010年01月13日 | 過去記事倉庫

  ■ 漂う米中関係の暗雲、日本にとっての好機 ■


アメリカ合衆国は現在、地上配備型迎撃ミサイル(PAC3)を含めた
台湾向け武器売却を進めていることにたいし、中国政府は年明けてから、
今まで見たことのない強い姿勢での猛反発をしている。

1月7日から9日、中国外務省の姜瑜報道官は三回にわたって
「強い不満と断固反対」を表明したのに続いて、
米国担当の何亜非・外務次官も9日、「強い不満と断固反対」
の表明と同時に、「武器売却の即時停止を米国に強く求める」
との姿勢を示した。

8日には、中国国務省も反発に出た。国務省の報道官は外務省と同様、
「強い不満と断固反対」を表明したと同時に、
「中国側はさらなる措置をとる権利を留保する」とし、
昨秋本格的に再開したばかりの軍事交流を停止するなどの
報復措置をとることを示唆した。

このように、米国の台湾向け武器売却にたいし、
1月7日から9日までのわずか3日間、
中国側は5回にもわたって猛反発を行っているが、
米中関係史上、それは極めて異例なことである。

1979年11月に米中国交樹立の直後に、米国はさっそく
国内法としての「台湾関係法」を成立させ、武器提供を含めた
台湾への防衛協力を法的義務として定めた。

それ以来、米国は三十年間にわたって
台湾への武器売却を断続的に行ってきたが、その都度、
中国政府は外務省を通じてきわめて形式上の「不満と反対」を表明したものの、
基本的に目をつぶってしまうような姿勢をとってきた。

だからこそ、台湾への米国の武器提供が堂々と行われ続ける一方、
米中関係は何とか維持されて徐々に深まってきた。

しかし今度、中国は今までとはまったく違った姿勢をとることになった。

売却が実際に行われる前からすでに
上述のような密度の高い猛反発を行っているから、それはもはや、
単に形式上の「抗議」や「反対」ではなくなっている。

この勢いでは、おそらく中国側は今後、反発のトーンをいっそう強めていくし、
売却が実際に行われた後には、それまでの強い姿勢と釣り合うような
実質上の「報復措置」を取らざるを得ない。

(実際、去年の年末辺りから、中国国内の御用学者たちはいっせいに、
「米国に対抗する実質上の報復措置をとるべし」との大合唱を始めている)。

つまり中国は今後、この問題についての
米国との喧嘩を徹底的にやっていく覚悟なのである。
米中国交樹立30年後の今になって、
中国政府はこのような強硬姿勢に転じたのは一体何故なのか。

その理由として考えられるのは以下の三つである。

一つは、近年における国力の増大にしたがって自信を持ち、
米国の台湾への武器売却、中国側の言い方からすればすなわち
「中国の内政への干渉」にたいしてはもはや我慢できなくなったこと。

もう一つは、中央指導部における軍の強硬派の発言力が増してきて、
この問題への柔軟な対応は出来なくなったこと。

最後一つ、一番重要ではあるが、
今の胡錦濤政権は「台湾問題の解決」をすでに視野に入れていて、
この問題への米国の関わりにたいしてすごく敏感になっていることである。

勿論、この三つの理由が連動しているとも考えられる。

つまり、国力の増強と軍の強硬派の影響力の増大の中で、
「台湾併合」はいよいよ指導部の意識するところとなってきている、
だからこそ、中国政府は米国の台湾向け武器売却に対し、
今まで見たことのない強い姿勢で臨んでいる、と考えても良い。

とにかく、今回の武器売却の一件をめぐって、
米中関係には大きな波乱が生じてくることは確実のようである。

去年の11月にオバマ米国大統領が訪中した際、
多くのメディアが「G2」の時代の到来と騒いだ中で、
私は月刊誌『Voice』の12月発売号に寄稿した論文の中で、
「米中蜜月もそろそろ終焉する」と予測しているが、
一ヶ月も立たないうちに、それは早くも目の現実となりつつあるのである。

勿論、わが日本国のしかるべき対応としては、
これを機にして日米同盟のいっそうなる強化を図ることこそが
国益にかなう賢明な戦略ではあるが、今の日本政府に
この程度のことができるかどうかはむしろ疑問なのである。


( 石 平