☆4月5日はヘアカットの日
1872(明治5)年、東京府が女子の断髪禁止令を公布。これに反対した女性たちが、この日をヘアカットの日と制定した。☆
お早うございます。今日もお立ち寄りありがとうございます。☆
☆4月5日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)
学ぶ心
人は教わらず、また学ばずして何一つとして考えられるものではない。幼児のときは親から、学校では先生から、就職すれば先輩からというように、教わり、学んでのちはじめて自分の考えが出るものである。
学ぶという心がけさえあれば、宇宙の万物はみな先生となる。物言わぬ木石から秋の夜空に輝く星くずなどの自然現象、また先輩の厳しい叱責、後輩の純粋なアドバイス、一つとして師ならざるものはない。
どんなことからも、どんな人からも、謙虚に、素直に学びたい。学ぶ心が旺盛な人ほど、新しい考えをつくり出し、独創性を発揮する人であるといっても過言ではない。
☆【コラム】筆洗
2015年4月4日 東京新聞TOKYOWeb
▼「桜、桜」。七十年前の四月五日、戦艦「大和」にそんな叫びが響いたという。出撃を目前にした訓練の合間、双眼鏡を陸地に向けていた見張員の声に、皆は先を争い双眼鏡を覗(のぞ)いた
▼学徒出陣し、大和に乗り込んだ吉田満氏は名著『戦艦大和ノ最期』で記している。<コマヤカナル花弁ノ、ヒト片(ひら)ヒト片(ひら)ヲ眼底ニ灼(や)キツケントス 霞(かす)ム「グラス」ノ視野一杯ニ絶エ間ナク揺レ、ワレヲ誘フ如(ごと)キ花影ノ耀(かがや)キ…>
▼この二日後、大和は沈没した。出撃直前「敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか…俺たちは…日本の新生にさきがけて散る」と語ったという二十一歳の大尉も死んだ。生き残った吉田氏は、彼の最期を石に刻むような筆致で書き残した。<直撃弾ニ斃(たお)ル 智勇兼備ノ若武者、一片ノ肉、一片ノ血ヲ残サズ>
▼命が使い捨てにされた戦争の時代から、戦後日本はどう変わったのか。本当に個々が尊重される社会になったのか▼一九七九年に五十六歳で没した吉田氏は戦争を生き延びた者の責務として、それを見届けようとした。氏が死の前年に書いた一文は、今に続く問い掛けだろう
▼「人間が大切にされているように見えるのは、人間そのものとして尊重されているのではなく、ただおのれの権力を及ぼすべき対象として、自分の利害にかかわる貴重な要員として重視されているに過ぎないのではないか」
☆ 今朝は雨です。身体も不調です。顔に時々しびれが起きます。何か、病気の始まりかな。今日も目覚ましていただき感謝です。今日も皆様にとって良い一日で有りますように。
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