☆ 今日は4月21日(火) 民放の日
日本民間放送連盟(民放連)が1968(昭和43)年に「放送広告の日」として制定。1993(平成5)年に「民放の日」に改称しました。 1951(昭和26)年のこの日、日本で初めて民放16社に放送の予備免許が与えられ、翌1952(昭和27)年のこの日に民放連が発足しました。
日本で一番最初に開始された民放は1953年8月28日、日本テレビだったそうです。当初からスポーツ中継はとても人気で、放送開始の翌日、8月29日には巨人・阪神戦が中継されたそうですよ。ちなみに紅白歌合戦もこの年からスタートしています。 ☆
☆ ハチ公像の除幕式
JR渋谷駅前広場で前を見据えている忠犬ハチ公像。1934年4月21日、銅像の除幕式があった。このとき本物のハチ公は存命。式典に招待され、ほぼ等身大の自分の姿を不思議そうに眺めていたと言われている。銅像は44年3月、戦況悪化による金属供出により、溶かされて蒸気機関車の車輪にされてしまった。現在の像は48年8月に登場した2代目だ。☆
☆ お早うございます。今日もお立ち寄りありがとうございます。☆
☆ 4月21日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)
しつける
日本人は、頭もよく、素質も決して劣っていない。だから、何がいいか悪いかぐらいは百も承知しているはずであるが、さてそれが行動になって表われたりすると、たちまち電車に乗るのに列を乱したり、公園や名所旧跡を汚したりしてしまう。
やはりこれはお互いに「しつけ」が足りないからではないかと思う。いくら頭で知っても、それが子どものときからしつけられていないと、いつまでたっても人間らしい振舞が自然に出てこない。つまりせっかくの知識も「しつけ」によって身についていないと、その人の身だしなみもよくならず、結局社会人として共に暮らすことができなくなってくるのである。
☆【コラム】筆洗
2015年4月20日 東京新聞TOKYOWeb
▼家庭訪問の季節だそうだ。小学生の娘さんがいる同僚に教えられた。そうか。新学年の始まった、この時期に行われるものだったか
▼最近の傾向では、玄関での立ち話でお開きになるという。お茶もお茶菓子も出さない。その方が先生も親もお互いに世話がないのだろう
▼家庭訪問のお茶菓子に苦労した時代もあったようだ。弘兼憲史さん(67)の代表作「課長島耕作」にこんな場面がある。貧しい家に育った女の子が家庭訪問を心配する
▼汚い家を先生に見られるのが恥ずかしい。お茶菓子だって用意できない。母親が安心しろと胸をたたく。「とびっきりおいしい手作りのおはぎをこしらえて出すから」。家庭訪問の当日、先生はおはぎに手を付けなかったが、後でいただくと持ち帰っていった
▼これで一件落着とならぬ。先生が帰った後、女の子は河原で遊んでいて土手の草むらにそのおはぎを発見する。先生が投げ捨てた。「母が作ったおはぎが悪いんじゃない。捨てた先生が悪いんじゃない。貧乏が悪いんだ」。女の子のせりふがいつまでも残る
▼いつの世にも人の事情が理解できない人がいる。理解しない人がいる。株価は上がる。されど格差は広がる。その一方で人生とうまく折り合えない人を思い、想像する力が強いかといえば、決してそうとは言えない時代である。心配性の小欄は先生への茶菓子無用にほっともする。
☆ 今朝は曇り空ですが、予報は晴れです。昨日は一日雨でした。
今朝も目覚ましていただき感謝です。
今日も皆様にとって良い一日で有りますように。☆