☆ 今日は8月17日(月) プロ野球ナイター記念日 ☆
☆ 1948(昭和23)年、横浜ゲーリッグ球場で日本初のナイター・巨人対中部(現在の中日)戦が行われました。
「ナイター」という言葉もこの時初めて使われました。 ☆
☆ お早うございます。今日もお立ち寄り有難う御座います。 ☆
☆ 昨日のカープVメール
16日マツダスタジアム、カープ7―2DeNA、勝ち投手福井8勝3敗、本塁打菊池8号、松山5号、田中6号、新井6号 詳しくは中国新聞(あさっての朝刊)で ☆
☆ 8月17日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)
街の品位を高める
自分の店舗は、自分の商売のためのものであると同時に、街の一部をなすものです。これは、その店舗のあり方が、街の美醜にも大きな影響を与えるということに他なりません。
一つの街に好ましい店舗ばかり並んでいれば、その街は生き生きと活気に満ちたきれいな街になります。街全体に好ましい環境が生まれます。だから、そうした街を美化するというか、街の品位を高めるという一段高い見地からも、自分の店舗をきれいにしていくことが大事だと思います。
それは「社会の役に立つ」という商売の真の使命に基づく一つの尊い義務とも言えましょう。またそれは同時に商売の繁栄にも結びつくものだと思うのです。 ☆
☆【コラム】筆洗
2015年8月16日 東京新聞TOKYOWeb
▼映画「社長シリーズ」「駅前シリーズ」などの俳優三木のり平さん(一九二四~九九年)の元に、召集令状の赤紙が届いたのは四五(昭和二十)年の夏だった
▼国のために死ぬ覚悟さえ固めていたが、結局、兵隊にとられることはなかった。入隊予定日が終戦の三日後の八月十八日だったためである。「戦争に行かなくていいのか」
▼七十年前の終戦日を国民はどう受け止めたか。<戦争は終わった 私は心中「シメタ!」と思った>(小沢昭一さん『わた史発掘』)<終わったーっ 生きてるぞ 生きのびたんだー>(手塚治虫さん『紙の砦(とりで)』)
▼戦争終結を知った喜びや安堵(あんど)感は想像できる。されどその夜、じわじわと襲ってきたのはむしろ「これからどうなるか」の不安だったのではないか
▼実際、終戦直後は戦時中よりも食糧や生活物資の入手は困難で、焼け跡での食うや食わずの生活が続く。終戦、そしてその後の平和な日本。これはあまりにはしょり過ぎた歴史であり、焼け跡での壮絶な苦しみが十五日以降に待つ。それも、やはり戦争の「罪科」なのである
▼のり平さんは十五日夜、ひそかに家を出て隅田川にある荷物を沈めた。千人針や軍人手帳などを詰めた袋。これからやって来る米兵に見つかれば、殺されると考えた。のり平さんの得意の文句ではないけれど戦争が終わっても平和は「パーッと」は来なかった。 ☆
☆ 今朝はくもり空です、昨夜は、雨が降りました。少し、涼しい朝です。
お盆休みも終わり、今日から皆さんお仕事ですね、休み疲れが出ませんように。
今朝も目覚ましていただき感謝です。
今日も皆さまにとって良い一日でありますように。 ☆
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