時間

いろんな時間です。仕事の時間。休みの時間。散歩の時間。今は定年退職しています。
気ままな時間。良い出会いができる時間。

今日のコラム

2015-04-25 06:25:25 | Weblog

☆ 今日は4月25日(土)

1945年(昭和20年)のこの日、第二次世界大戦の勝利目前に連合国50カ国がサンフランシスコに集まり、国際連合憲章が採択されました。
 国連には、国連児童基金(UNICEF)や国連教育科学文化機関(UNESCO)など国際的なさまざまな機関があり、多種多様なボランティア活動が活発に行われています。☆


☆ お早うございます。今日もお立ち寄りありがとうございます。☆


☆ 4月25日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

福祉はみずからつくるもの

お互いの福祉を向上させていくことは好ましいことであり、基本的には大いに推進されていい。しかし問題は誰がそれを生み出すかである。

今日、一つの風潮として、国民は国がいろいろやってくれるだろうと思い、国は国民の税金を頼り、足りなければ増税したらいいという安易な考えがある。それぞれが何とかなるだろうと考えているわけである。

しかし、福祉を高めていくのに必要な資金は、みな国民が営々として働き生み出した税金にほかならない。つまり福祉を行なうのは形の上では国であっても、国民なのである。

そういう認識を深くし、福祉の向上のためにお互い何をすべきかを考えることがきわめて大事だと思う。


☆【コラム】筆洗

2015年4月24日 東京新聞TOKYOWeb
 
▼米国の威光に陰りが見え、中国は存在感を増すばかり。そういう時に、日本は過去の戦争をどう省み、アジアの国々と向き合うか。そんな荷を背負い、日本政府代表はインドネシアのバンドンでの会議に臨んだ

▼…というのは、六十年前の四月、第一回のアジア・アフリカ会議の話である。独立を回復したばかりの日本にとり、国際社会での立場を再び築く節目となる大切な会議であった(宮城大蔵著『バンドン会議と日本のアジア復帰』)

▼だが会議はもめにもめた。予定日には終わらず、延長された。焦点の一つは、集団的自衛権。東西対立で軍事ブロックが形成される中、集団的自衛権は大国が意を押し通すための「便利な道具」として使われるのではないか。そういう危機感があったのだ

▼だから激論の末にまとめ上げられた「平和十原則」にはわざわざ、集団的自衛権を大国の特定の利益に役立てるために使うことは控えるように-との一文が入れられた

▼この会議を受け、後に金沢市長も務めた反骨の政治家・岡良一氏は衆議院で、米国の軍事戦略になびく政権のありようを嘆きつつ、こう述べた。「(政府が抱く)自衛という卵が平和の鳩(はと)の卵ではなくして、猜疑(さいぎ)を象徴する蛇の卵であることを国民は憂えている」

▼六十周年記念のバンドン会議も閉幕した。来月いよいよ、安全保障法制をめぐる論戦が国会で始まる。


☆ 今朝も良い天気です。
今朝も目覚ましていただき感謝です。
今日も皆様にとって良い一日で有りますように。☆




4月24日(金)のつぶやき

2015-04-25 02:27:43 | Weblog

今日のコラム

2015-04-24 06:53:58 | Weblog

☆ 今日は4月24日(金)  日本ダービー記念日

1932年(昭和7年)に目黒競馬場で日本初のダービー(東京優駿競争)が開催された。

イギリスのダービーステイクスに傚って企画された。出走は19頭で、優勝したのは1番人気のワカタカだった。

ダービーは元々、第12代ダービー卿が始めた、ロンドン郊外で開催されるサラブレット3歳馬ナンバーワンを決めるレースの事で、イギリス競馬界最高の行事だった。後に、日本を始め世界各国でそれに傚った「ダービー」という名前を附けたレースが開催されるようになった。☆
 

☆ お早うございます。今日もお立ち寄りありがとうございます。☆


☆ 4月24日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

心が通った商売

商売というものは、形の上だけで見れば、品物を売って代金をいただくということですが、それでは自動販売機と変わりません。そこにやはり買っていただいてありがたい、という感謝の気持ち、お客さまが大事、といった気持ちを持つことが、商売本来のあり方だと思います。

よく昔の商人は「お客さまの家の方には足を向けて寝ない」というほどの感謝の気持ちで客に接したといいます。そうすると、そういうものがおのずと客にも伝わり、同じ品物でもあの店で買おうということになって、両者の心が通い、社会全体が潤いのあるものになってきます。私は商売にも“物心一如”ということがきわめて大切だと思うのです。


☆【コラム】筆洗

2015年4月23日 東京新聞TOKYOWeb

▼「偉そう」とか「人を見下している」などの意味で若い方が使う<上から目線>という表現がいつ頃から使われだしたか知らないが、ずいぶんと広まったものである

▼一九九〇年代にはなかったと記憶する。視線を意味する目線なる日本語はもともとはなかったそうで演劇、映画の専門用語というから、そちら方面から生まれたか

▼人間の「上から目線」には我慢もするが、無人機による「上から放射線」である。首相官邸の屋上に小型無人ヘリのドローンを落下させた人間がいる。ドローンから微量の放射性物質が検出されたという

▼人体には影響のないレベルとはいえ、原爆、原発事故の忌まわしい過去を背負わされた日本人の神経をとりわけ逆なでする不快な物質である

▼「無人機」というが、それを遠隔操作したのは紛れもなく人間である。「無人」どころか、人間、しかも曲がった人間の心の存在を意識させる行為である。その人間はどこかに身を潜め、無人機を飛ばし、世間が右往左往する様子をじっと見ている

▼事実解明を待たねばならぬが、「義賊」を気取って首相官邸を<上から目線>で見下したかったとすれば勘違いも甚だしい。国のトップに不満はある。それでも民主主義の手続きに沿って選ばれた首相の「居場所」をその物質で汚した行為が許せない。空の<上から目線>で見下されたのは日本国民である。


☆ 今朝も良い天気です、朝日が眩しいです。今日も26度の予報で暑くなりそうです。水分補強して熱中症に気をつけましょう。
今朝も目覚ましていただき感謝です。
今日も皆様にとって良い一日で有りますように。☆


4月23日(木)のつぶやき

2015-04-24 02:29:57 | Weblog

今日のコラム

2015-04-23 07:10:58 | Weblog

☆今日は4月23日(木)地ビールの日

日本地ビール協会を中心とする「地ビールの日選考委員会」が1999年に制定、2000年から実施。日附は公募により選定されました。

1516年のこの日、バイエルン国王ウィルヘルム4世が発布した「ビール純粋令」により、水、ホップ、大麦・小麦の麦芽、酵母だけがビールの醸造に使用できることとなって、「ビールとは何か」が世界で初めて明確に定義されました。
また、この日はドイツの「ビールの日」にもなっている。☆


☆ お早うございます。今日もお立ち寄りありがとうございます。☆


☆ 4月23日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

目標を与える

指導者にとって必要なことは、目標を与えることである。指導者自身は特別な知識とか、技能は持っていなくてもよい。それは専門家を使えばいいのである。しかし目標を与えるのは指導者の仕事である。

それは他の誰がやってくれるものでもない。もちろん、その目標自体が適切なものでなければならないのは当然である。だからそのためには、指導者はそういう目標を生むような哲学、見識というものを日ごろから養わなくてはならない。

自分の哲学なり、体験に基づいて、その時どきに応じた適切な目標を次つぎに与える。指導者はそのことさえ的確にやれば、あとは寝ていてもいいほどである。


☆【コラム】筆洗

2015年4月22日 東京新聞TOKYOWeb

▼人間、この世を去る時、どんなことを考えるものなのか。著名人の死の間際の様子や最後の言葉を分析した山田風太郎さんの『人間臨終図巻』。九百三十二人の「最後」の中には自分もこのせりふでと空想する「名作」もたくさんある

▼百五年前の四月二十一日、七十四歳で亡くなった、米作家、マーク・トウェーンは次女に「じゃあまた、いずれあの世で会えるんだから」と言い残した。前向きな感じがする。家族への優しさもある

▼山田さんが「人間最後の言葉の中の最高傑作」と評したのが勝海舟である。ただ、<コレデオシマイ>とだけ言った。この世への未練も後悔も何もない。穏やかな顔が浮かぶ

▼この方は死を前に焦っていたか。スコットランドのネス湖の「恐竜ネッシー」と関係する人物である。湖面に長い首を出すネッシーの有名な写真を思い出す方もいるだろう。二十一日はその写真が英紙デーリー・メールに初掲載された日である。一九三四年のことだ
▼実は玩具を使ったトリックだった。撮影者に頼まれ偽ネッシーを制作した人物が九十歳で亡くなる直前の九三年に真実を告白した。約六十年の嘘(うそ)は冥土へ持って行くにはあまりにも重かったか

▼<コレデオシマイ>が最高傑作なのは言葉の良さではない。憂いなく、そう言える生き方をしたということであろう。言葉だけをまねてもそれは偽ネッシーである。


☆ 今朝は良い天気です、予報は25度になるようです。暑くなるみたいです。
今朝も目覚ましていただき感謝です。
今日も皆様にとって良い一日で有りますように。☆


4月22日(水)のつぶやき

2015-04-23 02:28:13 | Weblog

今日のコラム

2015-04-22 06:28:49 | Weblog

☆ 今日は4月22日(水)アースデー(地球の日)

アースデー世界協議会等が主催。

1970年のこの日、アメリカの市民運動指導者で、当時大学生だったデニス・ヘイズが提唱。

1970年から1990年までは10年に1度実施されていたが、1991年からは毎年開催されている。
    地球全体の環境を守るために一人一人が行動を起こす日。1970年(昭和45年)にアメリカで始められたもので、環境保護庁設立のきっかけとなる。市民運動として大きな成果をあげたが、日本でもこれに共鳴する市民グループが「熱帯雨林の破壊など国際的な環境問題で重要な立場にある日本がもっと関心を持たねば」と、さまざまな環境問題をテーマにした催しを企画している。 ☆


☆ お早うございます。今日もお立ち寄りありがとうございます。☆

☆ 昨日のカープは残念でした。☆


☆ 4月22日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

自分の会社を信頼する

新しく会社に入られたみなさんにとって大事なことはいろいろあるでしょう。しかし、私は基本的に言ってまず一番大事なのは、みなさんが自分の会社を信頼するということではないかと思います。

みなさんの会社が、みなさんを迎えたのは、みなさんを信頼しているからです。またみなさんもその会社を信頼して入ったわけです。

だからみなさんは、自分は会社を信頼しているのだ、そしてよき社員になるのだ、そして会社を通じて、人間として社会奉仕をするのだと考える。そう考えていたなら、まず失敗することはないだろうと思います。


☆【コラム】筆洗

2015年4月21日 東京新聞TOKYOWeb
 
▼<犬が星見る>。健気(けなげ)な犬の顔が浮かぶが、もちろん分不相応な高望みを例えたことわざである

▼何も犬と限るまい。高度な科学技術を誇る人間様といえども、たとえば、天空の輝きをわが物にすることは分不相応とはいわぬが、大それた野心である。一茶の<名月をとってくれろと泣く子かな>を引用するまでもなく、月も星も見果てぬ夢、手が届かぬ存在としてしばしばたとえられる

▼その話を聞けば、泣いていた子は黙り、星を見つめる犬は喜びで駆け回るか。宇宙航空研究開発機構(JAXA)が日本で初めて月面着陸を目指す無人の小型探査機「SLIM」を二〇一八年度にも打ち上げる計画を進めているそうだ

▼月面への無人着陸は旧ソ連、米国、中国に後れを取ったではないかというなかれ。過去に例のないほど正確に目標地点に着陸する「ピンポイント着陸」に挑戦するという。誤差は百メートル単位に収めるというから驚く

▼開発費は百億から百五十億円といわれる。苦しい財政の中、そのお金があればと喉まで出かかるが、やめておく。未来への投資に違いない。懐の問題では割り切れない日本人の夢のかかる挑戦である

▼「月に手をのばせ。たとえ、届かなくても、その方がよほどまし」。読者のなじみは薄いかもしれないが、英ロックのジョー・ストラマー。月に限らない。手をのばさねば、何一つ触れられない。


☆ 今朝は良い天気です。昨日も一人で近くを散歩でおしまいです。
今朝も目覚ましていただき感謝です。
今日も皆様にとって良い一日で有りますように。☆


4月21日(火)のつぶやき

2015-04-22 02:38:19 | Weblog

今日のコラム

2015-04-21 06:20:01 | Weblog

☆ 今日は4月21日(火) 民放の日
  日本民間放送連盟(民放連)が1968(昭和43)年に「放送広告の日」として制定。1993(平成5)年に「民放の日」に改称しました。 1951(昭和26)年のこの日、日本で初めて民放16社に放送の予備免許が与えられ、翌1952(昭和27)年のこの日に民放連が発足しました。     

日本で一番最初に開始された民放は1953年8月28日、日本テレビだったそうです。当初からスポーツ中継はとても人気で、放送開始の翌日、8月29日には巨人・阪神戦が中継されたそうですよ。ちなみに紅白歌合戦もこの年からスタートしています。 ☆

☆ ハチ公像の除幕式

 JR渋谷駅前広場で前を見据えている忠犬ハチ公像。1934年4月21日、銅像の除幕式があった。このとき本物のハチ公は存命。式典に招待され、ほぼ等身大の自分の姿を不思議そうに眺めていたと言われている。銅像は44年3月、戦況悪化による金属供出により、溶かされて蒸気機関車の車輪にされてしまった。現在の像は48年8月に登場した2代目だ。☆


☆ お早うございます。今日もお立ち寄りありがとうございます。☆


☆ 4月21日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

しつける

日本人は、頭もよく、素質も決して劣っていない。だから、何がいいか悪いかぐらいは百も承知しているはずであるが、さてそれが行動になって表われたりすると、たちまち電車に乗るのに列を乱したり、公園や名所旧跡を汚したりしてしまう。

やはりこれはお互いに「しつけ」が足りないからではないかと思う。いくら頭で知っても、それが子どものときからしつけられていないと、いつまでたっても人間らしい振舞が自然に出てこない。つまりせっかくの知識も「しつけ」によって身についていないと、その人の身だしなみもよくならず、結局社会人として共に暮らすことができなくなってくるのである。


☆【コラム】筆洗

2015年4月20日 東京新聞TOKYOWeb
 
▼家庭訪問の季節だそうだ。小学生の娘さんがいる同僚に教えられた。そうか。新学年の始まった、この時期に行われるものだったか

▼最近の傾向では、玄関での立ち話でお開きになるという。お茶もお茶菓子も出さない。その方が先生も親もお互いに世話がないのだろう

▼家庭訪問のお茶菓子に苦労した時代もあったようだ。弘兼憲史さん(67)の代表作「課長島耕作」にこんな場面がある。貧しい家に育った女の子が家庭訪問を心配する

▼汚い家を先生に見られるのが恥ずかしい。お茶菓子だって用意できない。母親が安心しろと胸をたたく。「とびっきりおいしい手作りのおはぎをこしらえて出すから」。家庭訪問の当日、先生はおはぎに手を付けなかったが、後でいただくと持ち帰っていった

▼これで一件落着とならぬ。先生が帰った後、女の子は河原で遊んでいて土手の草むらにそのおはぎを発見する。先生が投げ捨てた。「母が作ったおはぎが悪いんじゃない。捨てた先生が悪いんじゃない。貧乏が悪いんだ」。女の子のせりふがいつまでも残る

▼いつの世にも人の事情が理解できない人がいる。理解しない人がいる。株価は上がる。されど格差は広がる。その一方で人生とうまく折り合えない人を思い、想像する力が強いかといえば、決してそうとは言えない時代である。心配性の小欄は先生への茶菓子無用にほっともする。


☆ 今朝は曇り空ですが、予報は晴れです。昨日は一日雨でした。
今朝も目覚ましていただき感謝です。
今日も皆様にとって良い一日で有りますように。☆



4月20日(月)のつぶやき

2015-04-21 02:24:13 | Weblog