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廻り髪結い

2012-01-28 10:32:59 | その他
廻り髪結い

去年の大晦日に連れ合いが丸髷を結ったのですがその際に
拙宅まで髪結いさんに来て頂きました。

元々浅草で美容院に長くお勤めになっていた方でして独立して今は
髪やら着付けを依頼されるとその都度出向くのだとか。

ご贔屓がいるんですね。ハレの日には朝早くから先様に出て歩くの
だそうです。昔からのお得意様がいるのでしょう。カミサンを含め
姉やら姪やら和服を着たときには髪のお世話になっております。

今どき日本髪まで出来る方は貴重です。有難いことに大抵の髪型は
出来るのですが、既婚の女性はまあ通常丸髷ですからね。でもこんな
時代ですから髪型も自由にして既婚者でも独身女性の髪形を結うのも
見てみたいです。

こっちから出向かないでわざわざ家まで来て頂くのですが、これは
江戸の昔からあった廻り髪結いと同じですね。

歌舞伎の「髪結い新三」でもお馴染みです。

時代小説なんかでもよくこの廻り髪結いは登場して来ます。
床屋さんの出張みたいなものです。

で、どこかに廻り髪結いの実態を記したものはないかと、手持ちの
本を見ていたらちょうど良いのが出て来ましたのでちょっと引用い
たします。

私の祖父が「廻り髪結い」の株を持っていて、大店を随分引き受け
て、五人くらい廻りを出していたので、浅草駒形いまわりから、日
本橋神田下谷へかけて、よく何でも知っていましたし、私もお疵で、
耳の穴にタコができるくらい、下廻りの野郎が顔剃りに、大店を廻
っていたものです。手提げの長い箱で、髪結い道具一切を容れて、
毛筋を自分のチョン髷に差していた、意気な男がこの廻り髪結いで、
芝居で演る白子屋お駒をかどわかす、髪結い新三の風姿、あれでした。

         中略

旦那衆、番頭衆、若い衆の髪を結ったもので、旦那衆は一日置、番
頭衆は二日目、若い衆は三日目といった風で廻りは皆な先様の台所で、
お昼飯をいただき、宅へ帰ることなんかないンです。親爺は丁子屋
(炭問屋)がお得意でアゴつきでした。日本橋大伝馬町辺りの大商店
になると、一軒一人抱えで、入り浸りですが、その代わり店が大きい
だけあって、仮病の十人や二十人はいるから、髪結もそう人数の多い
のには驚かないといっていました。


岩波文庫 篠田鉱造著「明治百話」(下) より


何か面白いですねえ。廻り髪結いは契約制であちこち出て歩きます
ので、大抵は昼ご飯は出してもらえます。世間の噂や情報なども一番
先に入りますから何でも良く知ってるわけです。

この廻り髪結いが持って歩いていた長い道具箱を鬢盥(びんだらい)
と呼ぶのだそうで、「髪結い新三」で舞台で使うものも実際のものを
再現してあるのだとか。イメージ的には岡持ちみたいなものですが今
どきはありませんから、どこかで昔の本物を見てみたいものです。
引き出しがついていて櫛などの商売道具が入っていてこれを手提げに
して持って歩いた、とされています。

引き出し付きの箱と言えば、僕が子供の頃に定斎(じょうさい)屋と
いう商売がありました。是斎屋とも書くようです。近くに住んでいた
叔父さんは「じょさいや」と発音しておりましたが、棒手振りで前後に
箱が二つで引き出しが付いていて薬売りを商いとしていたようです。
この引き出しに環がついていて、担いで歩いているとこの環が引き出し
に当たり甲高い音がするので、定斎屋が来たってことがすぐに解るのです。
僕は実際には薬を買ったことはありませんが、叔父さんは良く来るよ、
なんてことを言っておりました。

富山の薬売りみたいなものでしょうか。富山の薬売りも大きな風呂敷
を背中に背負って薬を置いていったものです。おまけでくれる四角い
紙風船みたいなものが好きでしたね。当時の家庭の常備薬です。

そうそう、廻り髪結いの話でした。
ひょっとしてと思い、通勤で通る地下鉄の「三越前」のコンコースにある、
江戸時代の日本橋の往来を描いた「熈代勝覧」を見て来ました。

そうしたら、あらゆる職種を描かれている中に廻り髪結いも描かれて
いるのを発見しました。毎日眺めているのに気が付かないものです。
痛い足を引きずって回り道をした甲斐がありました。



絵の中ほど、背中を見せて赤い手提げをぶら下げているのがそうです。






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