Saxophonist 宮地スグル公式ブログ

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ビッグ・バンから始まって・・

2011年03月31日 03時00分56秒 | Weblog
ビッグ・バンに興味を持って調べてみたけど、やはり文科系の自分にはチンプンカンプンだ。(笑) でも、物理学者の方がTVで言っていた「物理学で宇宙を説明するのにも今のところ限界が有り、その先の話になると<哲学>になる。」という言葉にはすごく魅かれた。

物理が好きな人は天体にも興味を示すし、一方で音楽にも興味を示す人が非常に多い。レオナルド・ダ・ビンチは科学者で画家で音楽家である。

宇宙を考えて、そのパワーを感じ、宗教と結び付ける人も太古の昔から存在する。そして宗教と音楽は切っても切れない関係にある。

これで、地方でよくお会いするジャズ好きな坊さんと、宗教とは無縁の科学者が存在したとしても「音楽」という共通項は生まれる。(笑)

生きていく上で、その時代では説明が付かないものにも必死で規則性を見い出し、計算式を当てはめていく理系の人達が、その一方で計算できないものにロマンを感じるのは大変興味深い。音楽には方法論が当然有るけれど、その方法論どおりに作ったとしても、人を感動させられるとは限らない。そこが音楽の魅力でもあると思う。モーツアルトもチャーリー・パーカーも後から理論付けする人は居ても、その魅力に勝る音楽は作り出せない。

インドで「ジャンタル・マンタル」という巨大な天文観測器群を見たり、古代ローマ遺跡の精密さに触れる度に、人間の数値に対する恐るべき執着には驚かされる。

でも、その数値を必ず超えてくるのが自然の脅威である。今回の東日本大震災では、あれだけ防災を考えた町作りをして来た三陸海岸の防波堤を津波はいとも簡単に乗り越えて町を全て破壊し、あれだけ東電が安全性を訴えていた原発が人災とも言えるほどのお粗末さで機能が停止し放射能をばら撒いている。

僕は数字が苦手だから数値によって自分の安全を認識あるいは確保出来ると思えないし、また、宗教にも縋らない。自分の人生哲学であるところの「運命論」に最終的に行き着く。古代の頃でさえ人間は1年365日で閏年が有る事まで計算出来ていたのに、いまだに地震がいつ来るかっていう算出は出来ていない。にもかかわらず、人間は大地震が起こりうる場所に大都市を作っているのだ。愚かとしか言いようが無いが、僕はそんな大都市・東京で暮らしている。常に地震の脅威にさらされているが、それが僕の運命である。

特に哲学書を読むわけでもなく、むしろ他人の哲学にはあまり興味が無く、ひたすら経験を積む事によってのみ、僕は己の哲学を編み出している。とは言っても、まだまだ作り始めたに過ぎない浅はかな哲学だ。でも、直感で「全てがリンクしている」という事だけは分かっている。物理学と宗教は全く方向性が違うけど、編み出そうとする人間のモチベーションは同じ様な気がする。手相や姓名判断は占いとも言えるし、統計学とも言える。

結局は、森羅万象をどのように解釈するか・・と言う事だ。数値で納得する人も居れば、納得しない人もいる。でも、確実に、ありとあらゆる形で試練は人間の前に現れ、それを乗り越えなければ死んでしまうのだ。出来れば、そういう試練を避けたいから、そのツールを人間は探し求める。ある人にとっては数値(例えば何mの防波堤を作るとか、マグニチュード何まで耐えられる設計・・など)であり、ある人にとっては神様なのだ。でも、「確実に安全」なものなど無いと言う事が、今回の震災で僕がはっきりと学んだ事である。

「今、出来る事をやろう」

そんな事言われる前から、僕は無駄なことは避けてシンプルに生きるようにしている。音楽をしていると、生活苦(笑)も相まって自然とそうなる。「カネ」とか「名声」に興味が無くなってから、色んなものが音楽を通して見えるようになってきた。大切なものが何かも自ずと分かってくる。他人に対する思い遣りをACの宣伝見ないと思い出せないのだろうか。また、何度も流れるACの宣伝を見たくらいでイラつくなんて更にタチが悪いと思わないのだろうか。普段、そんなに何も考えずに生きているのだろうか。そういう人間が、ごく一部であって欲しいと願う。

カーステで音楽を聴こうとFMをかけたら、DJが「東北の人達、頑張らなくていいよ!もう貴方達は既に頑張ってるんだから!これ以上頑張れなんて言えないよ!」と絶叫している。よくある紋切り型の励ましだ。わざとらしい。僕はこういうの大嫌いだ。「頑張ってください。」と言う事の何が悪いんだ。それに、僕ら被災地に居ない人間に掛けられる(心で呟く)言葉って、それしか無いじゃないか。「頑張らなくていい。」こういうのって、一時期、歌詞でよく使われてた気がするけど、このタイミングで言われたら、カッコつけてるだけの軽いメッセージにしか聞こえない。

TVでビートたけしが冗談っぽく言っていた。「売れてないミュージシャンが、被災者のために音楽作って、売り上げを募金するって、それは只の便乗で売名行為じゃねぇか。」・・・ミュージシャンとして大変胸が痛くなるコメントだったけど、僕もそれは正しいと思う。僕もそれはやらない。僕が作ったって、たいした額にならないのは分かってるし、それくらいの額なら音楽と関係なく募金すればよい事だ。でも、僕だって仕事が大幅に削られて、生活が逼迫している二次被災者だ。結局は募金も出来ないのだ。(先日から、また仕事が減り、この前寿司食ったことを後悔したりしている。ちっちゃ。笑)

普段、何を考えて生活しているか・・というのは人間の品格に繋がると思う。海外のメディアは、如何に日本人の品格が高いかを褒め称えてるものばかりだが、たまたま被災地の東北の方々の品格が高かっただけであり、こういう所まで見えてるとは決して思えない。ハリウッド映画のサムライものを見てるようでむず痒い。実際には被災地でも略奪が起こっているのだ。海外が求めている、カッコいいニッポンを実現するには、子供の頃からの人間教育しかないと僕は思う。僕は子供の手本となる大人として、少しでも品格のある人間に近づきたい。・・って、子供にシカトされてるけどね。(苦笑)

以上が、今日の散歩で僕の頭の中に浮かんだもの。てんでバラバラな様だけど、僕の中ではリンクが張り巡らされている。物理だろうが何だろうが、日々一生懸命思考を巡らせていればある種の真理が見えて来る筈。ジャンルに関係なく、そういう人達の一言には重みが有り、説得力がある。非常事態だからと言って、急にコンセプトが変わるわけでもないだろう。僕もそうありたい。
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