「太子楼」と「燕」の思い出

2020-07-30 | 野良サイン以外
杭州料理屋「太子楼」と出会ったのは2013年11月のこと。

お昼に近所を散歩しているときに、ランチメニューの書かれた黒板を見つけ、その文字の美しさに驚いた。


2013年11月
初めて黒板と出会ったときの文字。
どこをとってもすごいのだが、特に「麻婆豆腐」の「麻」の字のかっこよさにやられた

何度か通ったことのある道ではあったのでそれまでも視界には入っていたのだと思うが、全く見えていなかった。

それから日々、週に1・2回程度店に行っては看板の写真を撮り、ごはんをたべて帰る、ということが習慣になった。


2014年4月
「太子楼」店頭の様子。黒板は結構大きい

このかっこいい文字たちが、誰にも記録しないままどんどん消されてしまうなんて勿体ない。記録しておく必要がある、という勝手に湧いてきた使命感から日々記録を続けた。

2013年12月
色の切り替え方が謎かっこいい。レイアウトもきれいですね……。

店に通うようになって、この黒板の文字を書いているのはいつもレジや配膳をしてくれるマスター(店主のおじいさん)だということがわかった。マスターは中国から日本に渡ってきたそうだが、書道に関する特別な技能はべつに持っていないという。が、十分に特別な技能と言える字をあたりまえのように書く。しかもチョークで。


2014年6月
「あんかけやきそば」の躍動感、すごくないですか……


当時、太子楼画像まとめサイトとして作成したTumblr。網羅的ではないがそれなりの数の画像を置いた

2015年5月、漫画同人誌即売会「コミティア」にはじめてサークル参加し、太子楼でみてきた文字をまとめた冊子『太子楼五體字類』を頒布した。漫画ではなく、情報・評論系の島での出展だ。

どうして紙媒体としてまとめようと思ったのか、明確な契機についてはもうよく覚えていない。日々SNSに「#きょうの太子楼」というハッシュタグで画像を投稿していたが、その中で「もっとちゃんとかたちに残しておきたい」と考えるようになったのだと思う。

そもそも本のかたちをしたものを作る事自体が初めてのことだったし、いろんな不安があった。マスター本人には2015年の3月か4月ごろ、試作品の段階のものを見せて「こういう本を自費で作ろうと思っているんです……」とおそるおそる切り出した記憶がある。歓迎してくれて、とても安心した。


2015年4月
『太子楼五體字類』製作中の様子。文字の選定作業をPC上でいい感じにやる方法がわからず
印刷したものを床にひろげ、紙にバシバシ貼っていた……


『太子楼五體字類』本文部分


2015年5月
COMITIA112出展時の様子

コミティア(2015年5月5日)が終了した。連休が開けたらすぐにマスターに渡しに行こうと思って、毎日『太子楼五體字類』の入った封筒を携行していたが、太子楼のシャッターは連休以降も降りたまま、「臨時休業」の張り紙が掲示され続けていた。


2015年5月

2015年5月25日、『太子楼』はその後営業を再開することなく別の中華料理屋になってしまった。

経過は毎日見ていた。シャッターが開いて店内でなにか作業をしているのを見たり、看板が取り外されるのをみて「もしかして改装するのかな」とおもっていた。が、全く見覚えのない店名に変わった。

新店舗の開店当日、レジに立っていた見たことのない人に話を聞くと「前の店とは関係がない」ということだった。困った。マスターにそもそも会えすらしない状態になってしまった。


2015年5月
居抜きで入った中華料理屋
その後さらに別の中華料理屋「パンダ」に替わり、こちらは2020年7月現在も営業中

以前、マスターから「原宿に姉妹店がある」と聞いたことがあった。手渡されたショップカードには「東京茶楼 燕」と書いてあった。どうやらご家族が経営されているみたいだったので、行けばなにかわかるかもしれない……。

2015年5月30日、「燕」に行くことができた。


「燕(えん)・東京茶楼」にて・2015年5月

マスターもそこで店番をしていた。『太子楼五體字類』をようやくマスターに手渡すことができた。
何十年かぶりに再会したみたいな気持ちになり、思わず握手をした。(実際は1か月半くらいぶりなのですが……)

いろいろ話をしているうちに「この店のメニュー要る?」と提案されてしまった。お言葉に甘えていただくことにしたところ、マスターは店内メニューの冊子を1部手に取り、コピーとるからコンビニ行こう、と言い一緒に行くことになった。

近所のファミリーマートについて行き、コピー機でメニューのコピーをとってくれるのを横で見守る。なんなんだこの状況。再会できただけでもうれしいのにこんなことあるのか。


ファミリーマート表参道中央店のコピー機で「燕」のメニューを複製してくれたマスター

マスターはその後も「燕」で店番をされていて、さらに「燕」のランチタイムでも黒板が店頭に出るようになった。この黒板はたぶん、かつて太子楼で使われていたものだと思う。近くを通った際はぜひ見てみてほしい。

2020年1月に訪問したときはマスターは入院されていたそうでご不在だった。その後わたしはまだ行けてないのですが、そろそろタイミングを見計らって行っておきたいところだ……。元気にしてるかなー。



ここ最近、『太子楼五體字類』の販売をあんまりしていなかったのですが、自宅から在庫がけっこう出てきたので「マルシェル」で販売してみます。まだお持ちでない方はこの機会にいかがでしょうか。