きょうも一日どんより曇り。きょうは1937年以来中国侵略を続けていた日本が真珠湾攻撃で米英に開戦しアジア・太平洋戦争突入の80年目。「12・8」。全国各地で母親大会連絡会などが赤紙(召集令状)を配布し岸田新政権の改憲と大軍拡に反対する運動を展開した。日本人はぜったい忘れてはいけない日。
80年というのはふつうはおめでたい年。なのにきょうの80年は真逆。世界で2000万人日本310万人の犠牲者を出したというのにだれも謝罪しない。「東京裁判」にかけられた人以外だれも責任を問われない。一億総ざんげでスルーした。こんなニッポン。ぼくは80年後のいまも納得していない。
愚老は1944年ごろ、名古屋市昭和区内で空襲に遭い愛知県猿投村のT薬局裏の小屋に疎開した。敗戦の記憶もミホバラ飛行場が炎上した光景ぐらい。あとはイナゴやドジョウ、モロコ、シメジ、ハチの子、カエル、ワラビ、キノコなどを漁っていのちをつないできた幼年時代が記憶に残る(写真上=疎開先で母の膝に乗り兵隊さんの三ツ星の徽章をつける4歳ごろのノーやん、中=千里みどりのさんぽみちの白花サザンカ、下=Rマンションのクリスマスツリー)。
戦争はなくすべきもの開戦忌 昇龍子