晴れ。きょうから政府の方針でわがまちも一斉休校。「臨時休業」は、2日~24日まで。放課後子どもクラブは午前8時~午後7時まで開設するという。小学校の卒業式は予定通り行う。ただし、5年生は不参加。子どもらの遊ぶ姿は見えずまちは静まり返っている。千里中央で売り切れだったトイレットペーパーを買いに南千里のドラッグストアに出かけたがやはり「入荷がございません」の張り紙がしてあった。千里東町のスーパーも同じ。即席麺まで売り切れ。こども園の子がひとりスーパー前で佇んでいた。1970年代の買い占め騒ぎを思い起こす。たしか千里NTが震源地だった。まだまだ波及しそう。不気味や。えらいこっちゃ。しょうことなしに部屋に籠って芭蕉論をパラパラ読む。
43年前の雑誌「國文學」の一文飯田龍太氏の「芭蕉断想―一実作者として」に目が留まる。「いまもって芭蕉は苦手である。苦手というより、もっと正直にいうなら、とんとわけのわからぬ存在で、その意味では随分と迷惑な人物である」と。正直驚いた。芭蕉といえば、蕪村も一茶も俳諧の師と仰ぎ研鑽してきた祖のような人である。愚老もしかり。花鳥諷詠に堕すことなく人生の機微を表現した先人ではないか。
鷹一ツ見つけてうれしいらご埼/此秋は何で年よる雲に鳥/白菊の目に立てて見る塵もなし…。「鷹一つ」は渥美半島に蟄居していた門人杜国への友愛の情、「此秋は」は門人と之道と洒堂の仲違い調停と自身の心境、「白菊の」は、門人園女への讃歌。自然と人生の融合のような句づくりを感じる。紀行文などを読むとリアリズムの中にフィクションを交えた小説家のようなところがあるなとも思う。お昼はパスタ・ペペロンチーノ。
渥美半島の伊良湖岬には訪ねて「鷹一ツ」句を吟じてみたことがある。岬は裸同然の景色で鷹が渡る風景とは思えなかった。父母の郷は堀切村にある。太平洋側に砂浜の海岸線が長くつづく。
翁詠う恋路が浜に鷹見つけ 昇竜子