曇り。ちょびっと日が射す。あさ「異邦人は君ヶ代丸に乗って」―朝鮮人街猪飼野の形成史―を再読終わる。同胞のルポライター金賛汀さんが丹念に取材した貴重な記録。本国と日本の二重の差別に挫けず生き抜いたハルモニが金さんのインタビューに「ほんとうに朝鮮の女は強く賢かった」と答えた一言が強烈に印象に残った。いまも日本社会には「在日」排斥・蔑視の空気が残る。外国人との共生社会はいまも大きな課題だが女性が頑張っている。
ヒロシマの絵本と「新修 豊中市史 通史一」の目次などに目を通す。わがまち上新田に関わる記事が「郷土伝承資料」と違っているときのう書いたのは間違っていた。気づいてすぐ訂正した。頼山陽が上洛の際、上新田の酒醸造屋山田家(後に山口氏)に再々立ち寄ったという「伝承」に間違いはなかった。愚老の早とちりにお詫びする。
それにしても「新修 豊中市史」は重たい。図書館の通い袋で返却。千里図書館で「第3巻自然」と「第9巻都市・集落」を引っ張り出しわが「上新田村」ができた「北部丘陵地」の植物相や「真覚寺と氏神天神社」の形成史、1682年の「天和の隠田事件」などの部分をコピーする。
わが上新田は五大陸から来た人が住むコスモポリタンなまち。人口2万人を超す。そこに買い物難民がいる。狐や鼬や猿も出没する。ホトトギスやイソヒヨドリなどいろんな野鳥が集まる不思議なまち。
お昼は、パスタ・ペペロンチーノ。インゲン豆とゆで卵のせ。
南千里へインゲン豆、卵、小松菜など買い足しに。途中、津雲台でキョウチクトウ、千里南公園の北花壇でノコギリソウをカシャ。
束ねられ苦しくないか鋸草 昇龍子
ヒロシマの近づくころや夾竹桃 同