「小さい時からどんなものが好きかを見て、個性を伸ばすように教育したほうがよい」
ノーベル賞受賞の中村氏がそう話していました。
人に向き不向きや好き嫌いがあるのは当たり前、それを平均化するのはたしかに不自然。
ひと頃、一芸入試やAO入試とかが流行りましたが、いまはどうなんでしょう?
それで、個性を伸ばせるような教育ができたのでしょうか?
個性的な人が増えたとも思えないのですが、わたしが知らないだけかもしれません。
長いこと、平均的な教育、平均点を一定水準に揃える教育が行われてきたわけです。
教育するが側そのものが、キンタロアメだったら、できるのはキンタロウの再生産。
個性的な人が育って、その人が教える立場になって・・・・教育は一日して成らず、です。
何をやらしても平均点は取るけれど、図抜けたものはなく、図抜けたこともできない。
現役の頃から、そういう人たちをゴマンと見てきました。
かくいうわたしもゴマン人・・・・ゴマン分の一?
あほうにも一芸、と言います。
その一芸すらないわたしは、あほう以下の存在か・・・・いまさら嘆いてもアトの祭り。
多芸は無芸・・・・という時の芸は、平均的な芸でしかないのでしょう。
一人二才ある者、一芸に能ある者なり。
そういう時の芸こそがホンモノといえるものなのかもしれません。
一芸を究めることは、その真髄を会得すること、その真髄がわかればほかのこともできる。
でも、原点は、これが好き、好きだからやりたい、ということだけなのかも。
好きでもないことにエネルギーを使うことより、好きなことに熱中できるほうがシアワセ。
だったら、好きなことをできるだけ早く見つけ出すように、大人が手を差し伸べる。
それが初等、中等教育が本来やることではないのか、といつも思ってしまいます。