プリントをしようとしたらインク切れ。
それでは、もう1台のスピードの遅いほうで・・・・切替えてみたら、これまたインク切れ。
どちらも警告が出た後、ムリムリ使っていたので、同時に断末魔?
買い置きが無かったので、しかたなく量販店へ。
梅が見頃かも、と思ってカメラを持参、近くの梅の木がある公園を経由して行きました。
紅梅、白梅ともほぼ満開でした。
インクを買っての帰り道、今年初めての菜の花を見かけたのでパシャッ!
自転車に乗ったまま・・・・バックがよくないけれど、降りて撮るのも面倒。
そのまま撮ってしまって、ちょい心残り。
さて、家に戻って資料作りの続きを・・・・。
しようと思ったのですが、つい気が変わって読みかけの本の続き、になりました。
「日本のメディアの病」と題した一章を読む。
わたしが日頃接するメディアは、全国紙1紙、ラジオ、ネットです。
後のふたつはほとんどニュースで、時たまネットでIT動向などウオッチング。
身の回りの出来事以外の世界と向き合うには、たしかにメディアは欠かせません。
メディアは、わたしたちの社会の自己意識である、とその文章は書く。
そこで語られる言葉は深く、厚く、多様な解釈があればあるほどよい。
それによって、わたしたちの知性も感情も豊かになることが出来るからである。
しかし、いまマスメディアからネットメディアまで、語彙は貧しく分析は単純である。
人間は、気品と卑しさ、寛容と狭量、熟慮と軽率などが絡み合って生きている。
両立させることが難しいことがらを何とか折り合いをつけようとして努力している。
その努力をメディアは放棄し、しかも自らそれに気づいていないのではないか。
メディアは、対象と一定の距離を置いて客観的に語ることが求められる。
一方で、同時にそれを他人事ではなく、当事者として喜怒哀楽を伝える事も必要。
デタッチとコミット、それを同時的に果たす役割がメディアの仕事ではないのか・・・・。