ちっちゃな石と、つくしんぼと、カツオブシと。

長女こいし、次女つくしのだるだる感満載漫才万歳な成長記録デス。つくしは長期入院→年1受診。カツオブシの里親になりました。

幼児が苦い粉薬を飲む方法

2014年06月04日 | 入院治療メモ

錠剤が飲めない幼児は粉薬を飲むことになるのですが、これがなかなか飲んでくれない。

つくしが大嫌いだったのはバクタ。
大人が舐めてもとっても苦いです。
あまりにも泣くので味見と思って舐めてみましたが、その苦さに震えました。私。

チョコを溶かして混ぜるのは手間ばかりかかって成果なし。
だいたい朝の忙しい時間帯からチョコを割ってレンチンして…というのも無理。
量の調節も難しいし、チョコと薬がうまく溶けない。(やり方の問題はあるとは思いますが)

ヨーグルトやアイスに混ぜても味が違うのでバレバレ。

お薬用のゼリーに包める量じゃないし、何より粉薬をうまく包めなくてでろっと出てきちゃうからこれまたバレバレ。
オブラートなんてものは警戒しすぎて使えませんでした。

「あとでアイス食べれば味が紛れるから」
なーんて言葉も2歳児には通用しません。まだ先が読めないもんね。


騙して薬を飲ませるのは無理。
だったらおいしくすればいいんですけど…

つくしは病院では薬を糖水で溶き、フレーバーの粉でにおいをつけてスポイトや注射器で飲んでいました。
このフレーバーが市場に出回っておらず手に入らないんです。
退院する前になんとかフレーバーなしで服薬できるようにならないと。

色々と試行錯誤した結果、我が家が辿り着いたのが市販のオリゴ糖とチョコソース。
隣に入院していたお子さんのママが教えてくれました。
バクタを舐めてみましたが、驚くほど気にならない!
ちょうどビターチョコのような味になって、意外とおいしくいただけるのです。
(アイスに混ぜたものも舐めましたが、これはアイスの味が台無しでした)

小さなお薬カップに粉薬を入れて
1.ごく少量の水(数滴)で溶く…というより練る感じ。多少水分が多くても大丈夫だけどなるべく少なく
2.オリゴ糖を少量投入して混ぜる
3.チョコソースを投入して混ぜる
4.100均で売ってるお弁当デザート用?の小さなスプーンにすくって舐めて飲む

(オリゴ糖なしでもいいと思います)

この方法でバクタ+プレドニンも「ちょこの おくすり~!」と喜んで飲みました。

ムヒから出てるアンパンマンの水薬についてくるお薬カップが混ぜるときに重宝しました。
アンパンマン様様です。


抗生物質など苦目のお薬を飲ませる時にも有効ではないかと思います。
(薬効に影響する場合があるので混ぜる場合は薬剤師さんに確認が必要です)

両方ともスーパーで売っているものなので、手に入れやすいというのもいいと思います。
病院の看護師さんにアイスコーヒーなどに使うガムシロップをすすめられたこともあります。半分くらいしか使わないのに捨てるのはもったいなかったので量を調節できるオリゴ糖に落ち着きました。



チョコ好きなお子さんにはおすすめの方法です。
試してみてください。


【12クール目・中等量MTX~退院】H24.4.4~

2012年04月24日 | 入院治療メモ

イマイチな食欲でスタートした治療。

4月4日(MTX、HDC+MTX髄注)
髄注もしたのでかなりだるそうでした。

4月5日
顔が浮腫んでいましたが、元気はありました。

4月6日
顔色が悪い。唇が白い。ヘモグロビンが9.3。

4月9日
退院に向け諸検査を行うため、蓄尿開始。
トイレに行けないつくしちゃんはバルーンカテーテル留置。ルートが面倒くさい。
ASTとALTが上がってしまいました。

4月10日
眼科と心電図、レントゲンへ。
検査は全て大泣き(困)。

4月11日
WBC700となり、隔離へ。

4月13日
長い隔離も覚悟していたら、WBC1400。外泊許可で2泊。
やったー!
ASTとALTは低下傾向。

4月15日
食欲低下。自宅でもあまり飲まず食わず。

4月16日
WBC1000。肝機能の値は正常に。

4月17日
つくしちゃんお誕生日!CV抜去!入院最後の通算10回目?のマルク!
イベントてんこもりでした。
マルクでは鎮静がなかなかかからず結構なお薬の量を盛られたらしい。
それでもマルク中お尻を持ち上げたり、その後のCV抜去中に腕を振り上げたり…
先生も看護師さんはハラハラし通しだったようです。

4月18日
聴力検査(ABR)
心配していた体動も、睡眠薬内服と坐薬でぐっすり。
しっかり検査できました。

4月19日【維持療法開始】
WBC3300、RBC3470、Hb10.3へ。
MRIと心エコー。
お仕事であったため、じいちゃんとばあちゃんが付き添い。
MRIはよく眠ってバッチリ。心エコーもおりこうに受けられたとのこと。
今日から内服ロイケリンとメソが開始。

4月20日外泊
2泊。

4月23日無事退院!!皆さん本当にありがとうございました!
K式発達検査:私が思っていたよりも理解が悪かった。まあでも平均並とのこと。










【11クール目・HR専用強化3-①②】H24.3.5~

2012年04月10日 | 入院治療メモ

3月5日
グランで一時4300まで上がった白血球も、今日は1500。
ギリギリセーフです。
使用薬剤:プレドニン(内服)、オンコビン、テラルビシン
IgGも504であったためグロブリン製剤も入れました。

3月7日外泊
WBC2000。外泊2泊。
階段から落ちそうになり、ばあちゃんに助けてもらいました。ばあちゃんとっさの動きがスゴイ!
顔に青あざをこしらえてしまいました。

3月9日帰院し、再度外泊へ。
同室のお姉ちゃんとずーっと一緒に遊んでいました。
2泊OK。

3月10日久しぶりにラーメン外食。
おいしいラーメンやさんに出かけました。すっごい食べてました(笑)
内服中のプレドニン、今まではチョコソースを混ぜて飲ませていたのですが
ハリゾンシロップに混ぜても全然普通に飲めることが判明。
すごいなー。

3月11日
遅い初詣とご祈祷をしに神社に行ってきました。

3月12日帰院。再度外泊へ。
オンコビン、テラルビシン、ロイナーゼ(皮下注)
ごろごろが目立ち、プレイルームからもすぐに帰りたがり機嫌は最悪でした。
家でも不機嫌。

3月14日帰院。再度外泊。
WBC1700。眠いのかだるいのかゴロゴロしてます。バイキングには元気に参加!

3月16日帰院。再度外泊。
WBC2200。

3月18日帰院。
お墓参りに1年ぶりくらいに行けました。

3月19日外泊。
WBC2100。
オンコビン、テラルビシン、ロイナーゼ(皮下注)

3月21日外泊。
WBC1000。おわ。落ちましたが好中球はまだ510あり、外泊。

3月22日帰院。

3月23日
WBC600で隔離。顔色不良。ゴロゴロしている。
凝固剤?点滴。

3月24日
ゴロゴロしている。眠そう。

3月25日
ここのところの疲れなのか、18:30に入眠。

3月26日
WBC600。顔色は白いが元気はある。

3月28日
WBC700。グラン点滴して外泊へ。

3月30日帰院。再度外泊へ。
WBC1200。

4月1日帰院。再度外泊へ。
WBC1200。グラン点滴。
久しぶりに家族で外食。

4月3日帰院。
WBC2000で明日から入院治療最後のクール開始。
点滴ラインキープ。
暴風雨でした…。









【10クール目・HR専用強化2】H24.2.8~

2012年03月06日 | 入院治療メモ

H24年

2月8日 キロサイド(~10日)
白血球900と若干少なめ。
一昨日、その2日前は1000超えなので治療開始。

2月10日 ロイナーゼ皮下注
白血球1600
食欲低下。のりがあればごはんを食べる。
外泊2泊。

2月11日
実家の母が来てくれる。

2月13日
白血球700
明け方こいしが高熱を出す。元気だけど。
念のためじいちゃんに病院に連れて行ってもらうとインフルエンザB型と判明。
つくしは濃厚接触者。即刻個室隔離に。
つくしに抗生剤を投与とタミフル内服。10日分(随分厳重だわ)
付き添いの私も服用するためタミフルをお買い上げ⇒保険きかず自腹(泣)
保険て大事なんだわ、と実感。

2月15日
白血球400

2月16日
私の祖母が亡くなる。
お通夜は明後日。
行きたいけど個室隔離。解除になれば…あるいは。

2月17日
白血球300
インフル感染はしていないとの判断で朝大部屋へ移動。
カーテン隔離。
凝固剤点滴。

2月18日
同室ママにお願いをして早朝病院から名古屋の祖母通夜会場へ。
お顔だけ見てとんぼ返り。
滞在時間約3時間。
どうしても矢場とんのみそかつ弁当が食べたくて駅地下店に寄ったら行列。
予定してる新幹線の時間に間に合わないーーー!と焦ったけど、
お店の人の強力な協力と、雪で5分遅れになった新幹線のおかげで無事乗れました。
ばーちゃんありがと!

2月20日
白血球200
血小板44000
血小板輸血。

2月27日
白血球800
隔離解除。
ずーっとプレイルームで遊ぶ。
長かったもんね、隔離。

3月1日
グラン点滴。

3月2日
白血球4300
外泊2泊。

外泊中ひな祭りのお祝いは手巻寿司。
鶏の唐揚げをモリモリ食べた。
ケーキの食いつきはいまいち。



【9クール目・HR強化髄注なし】H24.1.6~

2012年02月10日 | 入院治療メモ

本当なら12月中旬には始まるはずだった治療。
白血球がグズグズ立ち上がらず…
図らずもクリスマスもお正月も自宅で家族と過ごすことができた。

年が明けてH24年

1月2日 グラン皮下注
白血球1400
好中球が17%と低く、造血機能を見るためマルクを行うかも、とのこと。
1月5日の採血結果次第。
外泊2泊。

1月5日
マルクと聞いてやっとやる気になったのか…
白血球5500
好中球も67%
マルクはなし。

1月6日 エンドキサン、キロサイド(5日間)、ロイケリン内服(2週間)
不機嫌。
目薬でギャン泣き。

1月7日
白血球1300
超不機嫌だけど目薬で泣かなくなった。

1月9日
白血球3600
機嫌まあまあ

1月11日 グロブリン製剤

1月12日
白血球700 隔離開始

1月13日 キロサイド(5日間)

1月16日
白血球500

1月18日 ロイケリン内服終了
白血球800

1月20日
白血球500

1月22日
白血球700

1月23日
赤血球輸血

1月24日
白血球1000
大雪。いつもは40分くらいで到着するのに3時間かかった。
おりこうにしていてくれた。

1月25日
月に1度のお楽しみ。昼食バイキングは「おでん」!
こんぶをめちゃ食い。

1月26日
白血球800
外泊許可。明日から2泊。

1月30日
白血球1000。
グラン点滴

1月31日
白血球1900
白血球の上昇があまり見られないため今週は治療なし。
外泊OK。明日から隔離解除。

2月1日
外泊2泊。

2月4日
白血球1000

2月6日
白血球1200
米飯を食べない。

2月7日
9回目のマルク。
明日から10クール目。


入院~主治医からの説明 2

2011年07月21日 | 入院治療メモ

それから、

・白血病について
 その治療について
・今後行う検査(骨髄検査=腸骨に針を刺して、骨髄液を抜く)

についての説明を受けました。


先生のお話は、とてもわかりやすく、丁寧です。


白血病にも色々タイプがあるのね。
それによって、治療法や予後が変わるらしい。

骨髄検査というものをやらないと、確定診断できないのね。
(血液の中で白血病細胞が増殖しているものだと思っていました。)
そして遺伝子や染色体の異常も、予後に影響する因子があるのでそれも調べるらしい。

ここで長年の勘違いが発覚。
私、“骨髄液”と“髄液”を混同していました。お恥ずかしい限りです。
骨髄液も脊柱の間から針を刺して取るものだと思っていたのですが、
腸骨という、骨盤の骨に針を刺して採取するんだそうです。


白血病は、タイプにもよるけれど、ここ30年で最も治療成績が上がった病気といってもよく、
いわゆる“不治の病”ではなくなってきているということも聞き、少し安心しました。


「ここまでで質問やご意見はありますか?」


話が一区切りつくたびに、先生はそうおっしゃってくださいましたが、

質問…て、初めて聞く話ばかりで。

ただ先生の言葉を受け止めて、頭に留めておくのが精一杯で。

そして何より病気の知識がなく、質問なんて出てきやしない。


「…大丈夫です。たぶん。」


と答えると、


「お母さん、随分と(話を聞く)テンポがいいですけど…。」

と、先生にまた心配されてしまいました。


多分、無知だから、怖さも何もなかったんだと思う。

これからどんな辛いことになるのか、どんな危険が伴うのか、

知識がないだけに、想像ができないから。

私がもし医者や看護師だったら、きっとものすごく辛かったかもしれない。



でも辛い現実をつきつけられたからといって、取り乱すわけにいかない。

ICが始まる前から、

つくしがどんな病気だろうと、かかってしまったのだから、あとは最善を尽くすように努力する。

…と自分に言い聞かせていました。



そして、先生の話を聞いて、希望がもてました。


“治る可能性が十分にある。”


これだけで、私の心は少し軽くなったのです。



入院~主治医からの説明 1

2011年07月20日 | 入院治療メモ


じいちゃんと旦那に入院するとメールをして、

職場にも報告。
しばらく休ませてもらわないといけないかなー。
(このときは、まだそんな軽い気持ちでいました。)

色んな書類にサインして…
(身体拘束同意書まであった!)
付き添いのための簡易ベッドとテレビを借りる手続きをしたり
色々用を済ませているうちに、夕方になりました。

つくしちゃんは、スタッフが来るたびに泣き叫び、疲れるようで、
二人になると、ウトウトしていました。

「今後の治療に関する重要なお話なので、
なるべくご主人と二人で聞いてください」と、
主治医の先生のIC(インフォームド・コンセント=説明と同意)が
夕方入る予定になっていたので
旦那に早退して来てもらったのですが、
予定時間になっても先生の手が空かず、
長女の保育園のお迎えの時間のタイムリミット。
旦那とばあちゃんには先に家に帰ってもらいました。

やっと先生のお話が始まったのは、18時半すぎ。
お疲れ様です…。


まず
「お母さんおひとりで、大丈夫ですか?」と確認をされました。

でも、私ひとりで聞くしかないし。

「きちんと聞いて、できる限り正確に伝えますので」と返事をしました。

そんなに悪い状況なのー???

ものすごく不安に。


「血液検査の結果、白血球が7万。血小板は2万4千。貧血も少しあります。
 肝臓の数値が少し高いです。
 LDHがかなり高く、これは身体の中で細胞分裂が盛んだということを示しています。
 …外来の先生から病名は聞いてますか?」

「いえ。はっきりとはわからないが、白血病などの血液の病気だとは伺っています。」

「そうですか。娘さんの血液を顕微鏡で見ると、白血球の9割が白血病の細胞でした。」


やっぱり…

白血病。


血の気が引きました。


えーっと、白血病って、良く聞くけども、いったいどんな病気なんだっけ…?

「血液のがん」で、「生死に関わる病気」くらいのことしか知らない。


子どもの白血病と大人の白血病って、違うの?
よく芸能ニュースで話題になったりするけど…
残念ながらお亡くなりになった人もいるけど、助かってる人もいるよね。


先生は更に続けます。


「白血病にも色々なタイプがあるので、それはもっと詳しい検査をやらないとわからないんですが、
 現時点での診断は『急性白血病』です。」



病の発覚まで その2

2011年07月19日 | 入院治療メモ

3月23日


前日鼻血を出したつくし。

同僚とも「もう一回ひどい鼻血が出たら、違う病院に行ったほうがいいね。」と話をしていたのですが、

やはり今朝も、反対側の鼻から、鼻栓が役に立たないくらいのひどい鼻血。

あとからあとから流れてきます。

これは…耳鼻科??

と思い、

個人の耳鼻科に連れていこうかと思っていたところへ、

付き添いしてくれたばあちゃんが
「せっかくだから総合病院に行けば?
最近はそんなに混んでないし。小児科にもかかればいいよ。」

と言ってくれたので、

内心、“ああ、これで午前中の仕事は絶望的…”と思いつつ、
同僚にメールで午前休をお願いし、総合病院にかかりました。

ばあちゃんの言ったとおり、以前、激混みだった総合病院は
それほど混んでおらず、すぐに診てもらえそうな感じ。

まずは耳鼻科で鼻血を止めてもらう処置。


「ひどい鼻炎なので、通ってください。」

と通達され(笑)、

今度は小児科にかかりました。


症状をこと細かに聞いてくれたのは、
こいしちゃんがRSウィルスで入院したときに主治医だった先生。

問診と、聴診をしたあと、

「血液検査をしましょう。」

と言われ、泣き叫ぶ中、採血。
(私は別室で待機なので、泣き声を聞いて、
看護師さんたちに申し訳ない気持ちでいっぱいに(笑)
なんせ、つくしちゃんの泣き声はハットリシンゾー並みなので)

つくしちゃんとばあちゃんを一度家まで送り届けて、

私一人で病院に戻り、結果を聞くことに。

1時間後、診察室に入ると、

「血液検査の結果ですが、白血球が異常に多く、7万くらい。
 貧血も見られます。
 血小板は1万と通常の10分の1程度しかありません。
 これが何を意味しているかと言うと、
 血液の病気の疑いがあります。」

と言われました。

そして


「ここでは治療ができませんので、紹介状を書きます。」

と、二つの大学病院を示されました。

ひとつは県内。
もうひとつは東京。

距離的にはそれほど変わらないと言われましたが、
東京は全く無知なので、迷わず県内の病院をお願いしました。


「なるべく早めに。今日中に受診してください。
 入院準備をして行ったほうがいいと思います。」


この時点で、ちょっと厄介な病気なんだろうな、とは思いました。


家に戻ると、つくしちゃんは寝ていました。
身体がだるいようだ、とばあちゃん。


車の中でお昼を食べながら、
ばあちゃんについてきてもらって大学病院へと向いました。

大学病院では、まず血液検査と身体測定。
泣くわ暴れるわで大変でした。
身長なんて、膝を曲げて立たないから、かなりテキトー(笑)。

外来の診察室に入ると、優しそうな先生が、ひと通り問診したあと、
聴診と腹部の触診。

「前の病院で、病名などは聞いてますか?」

と聞かれたので

「はっきりした病名ではなく、“血液の病気の疑い”と言われました。」

と答えると、

「そうですね。今の段階では病名を確定できませんが、
 白血病などの血液の病気でしょう。
 すぐに入院して治療いただくことになります。」

と。


そして病棟に案内されて…
即入院となったのでした。



病の発覚まで その1

2011年07月19日 | 入院治療メモ

自分のブログより。


3月22日

明け方、私の横で寝ている次女の鼻音がすごくて、
(指しゃぶりしているので、鼻づまりしてズゴズゴ言ってた)
あーあ、風邪引いちゃったか、と思っていたら。

ふ、と目を覚ましてシーツを見ると、

目の前に鮮血の池(水分はないですが、イメージ)が。

しかも数カ所にわたっていて。

ぎゃぁぁあああ。

鼻血だ。


あわてて顔を拭いて、鼻栓をして…
と思ったのに、
起きなくてもいいのに起きやがり。

ぎゃぁああああああ!!!

泣き叫ぶ。

泣き叫ぶから、更に鼻血が噴出する。


格闘の末、なんとか鼻栓をしたのですが…

ずーーーーーーっと泣いていて、

鼻栓を通り越してボタボタと鼻血が垂れる。


ああ…お洋服が…

ああ…じゅうたんが・・・。

あたしが泣きたいよ・・・。

そんなこんなで朝から洗濯機を回してシーツと衣類を洗濯。
血が止まるまで、保育園に預けるわけにいかず、
こいしをなる様に託して私は遅刻。

やっと機嫌もなおり、止血したっぽいんだけど
鼻栓が奥に入ってしまい、とれない…のか、
どこかへ飛んでいったのか…わからない状態で保育園に預けて出勤。


夕方保育園から電話が。

「食欲はあるけど、元気がなく、
 微熱と、小さな発疹が身体にできています。
 顔もむくんでるようです。」

仕方ないから、早退して受診することに。


迎えに行くと、つくしは元気。
発疹は…「発疹??」というような小さな小さなものが身体にパラパラ。
鼻栓は、やっぱり奥にあったようで
自然と出てきて、床に落ちていたらしい(汗)。
よかった。出てきてくれて。

発疹は、先週MRワクチンを打ったからそのせい??
もしかして軽くはしかか風疹にかかってんのかしら?
そしたら仕事が・・・。

ドキドキしながら受診。
お医者さんの見解は、

「もしワクチンの反応が出るとしたら、2週間後くらいだから、
 早過ぎるので、はしか・風疹ではない。
 念のため溶連菌の検査をしたけど、マイナス。
 結局よくわかんないので、経過観察。
 鼻血はたぶん、熱とは関係ない。
 むくみは、木曜までにひかなかったら尿検査しましょう」

ということで抗生物質と、座薬が処方されて帰されました。

えーっと…

はしか・風疹が否定されたのはよかったけど、
なんなんだ…??
受診した意味があまりないような・・・。


そんなわけで、今週も頑張って出勤します。私。
だからつくしも頑張れ!


それに加えて、つくしの口の中、左のすね、右の眉尻に傷(青あざ)があるのに
昨日風呂に入るまで、全然気づかなかった私。

・・・いつ転んだんだ??
いつできたあざなんだ??
全く私の記憶にはなく・・・。

親の監督不行き届き甚だしいな、と反省。


そんなつくしが不憫でなりません。
二人目って、ホントいい加減だなぁ。

もっとささいな変化のサインに気づくような母にならねば。


****

ちょうどこの時期、新規事業の立ち上げで、
お仕事が忙しくなりつつあり、
同僚に多大なる迷惑をかけたのです。
(現在進行形ですが…。温かい職場の皆さんに感謝!)