旧約聖書の出エジプト記(Exodus)に、シラフ(美しいという意味)とプア(輝きという意味)という助産師が出てくる。身体が大きく人口が増え続けるイスラエル人を恐れたエジプトの王が、イスラエル人の男子の数を減らして女子にエジプト人の子どもを生ませ、イスラエル人を抹殺することを計画する。この2人の助産師に、生まれた子どもが男であればすべて殺し、女であれば生かしておくように言う。だけれど、シラフとプアは自分の命の危険も顧みず、子どもたちを生かしておいた。これが王の知るところになり、理由を問われるのだが、シラフとプアは機転を利かして「エジプト人女性と違って、へブル(イスラエルの蔑称)の女性は身体が丈夫なので助産師が来る前に生んでしまうから」と答える。(これにはもう一つの話があって、「生かしておいたのはイスラエル(エジプト人が恐れていた霊的な意味を持つ名称)の子ではなく、へブルの子だ」と説明したとも言われている)
このことに関連した内容は、ネットにも出ているので、関心があれば調べていただいたらよいと思うが、重要ポイントは、助産師とは、時の権威ではなく、神への畏敬に基づき、人間の命を守り育み助けることをあくまでも追求して実現し、神の祝福を受けた者であるということが聖書に記されていること。
助産には、分娩時の介助だけでなく、女性子どもの全ライフサイクルを範囲として、自然な健康的な生活の実現を促すという重要な役割があり、医学的な処置ではなく、できるだけ、自然な形で子どもを産み育てる状況を整えていく。そうしたアイデンティティーの象徴として、シラフとプアは、国際会議の冒頭や式典に出てくる。
このことに関連した内容は、ネットにも出ているので、関心があれば調べていただいたらよいと思うが、重要ポイントは、助産師とは、時の権威ではなく、神への畏敬に基づき、人間の命を守り育み助けることをあくまでも追求して実現し、神の祝福を受けた者であるということが聖書に記されていること。
助産には、分娩時の介助だけでなく、女性子どもの全ライフサイクルを範囲として、自然な健康的な生活の実現を促すという重要な役割があり、医学的な処置ではなく、できるだけ、自然な形で子どもを産み育てる状況を整えていく。そうしたアイデンティティーの象徴として、シラフとプアは、国際会議の冒頭や式典に出てくる。