limited express NANKI-1号の独り言

折々の話題や国内外の出来事・自身の過去について、語り綴ります。
たまに、写真も掲載中。本日、天気晴朗ナレドモ波高シ

消え続けるガソリンスタンドの恐怖

2016年10月23日 11時35分51秒 | 日記
出光興産と昭和シェルの経営統合交渉が、暗礁に乗り上げているとの報道がなされていますが、両社が共に歩む事は難しい事ではないでしょうか。石油需要の減少から、元売り各社の再編が進むのは必然性があります。これからの時代に生き残っていくためには、避けては通れない関門です。しかし、両社の会社組織と経営理念とこれまでの歩みを振り返れば、上手く行く「要素」があまりありません。消費者としては、この事は静観する以外ありませんが、山奥に暮らす私としては、もっと切実な問題に目を向けて欲しいと思っています。「ガソリンスタンドの廃業」に歯止めがかからない事です。施設の老朽化や後継者難、需要の減少による採算の悪化から、廃業するガソリンスタンドは後を絶ちません。給油の為に30分以上かけて車を走らせる必要がある地域は、年々拡大しています。高速道路でも100キロ以上給油施設がない「空白地帯」が幾つもあります。これからの季節、灯油が欠かせなくなりますが、灯油を買おうにも売ってくれる場所が数十キロも彼方だとしたら、そして大雪で道路が閉ざされ孤立でもしようものなら、死活問題です。スタンドが仮に存続したとしても、営業時間の短縮や「セルフ化」で常駐しているスタッフがいない時間帯が生まれています。こうした事がどんな問題を引き起こすかと言うと、ガス欠・タイヤのバースト・バッテリー上がり・オーバーヒートと言った車両トラブルの増加に直結しているのです。一般道でも高速道路でもこの種のトラブルによるレスキュー依頼は、増加していますし、不幸な事故の一因にもなっています。スタンドでのちょっとした点検で防がれていた危険因子が、今はすべからく「ユーザーの責任」になっているのです。新車で購入してから一度もタイヤ交換をした事がない。ボンネットも開けたことがない。出来ない。開けられない。そう言った人々が実に多いのです。しかも、そう言った人に限って「ユーザー車検」に挑みたがるのです。何と無謀な事か。(私は5年間、国の検査場で働いた経験がありますが、車に対して無頓着な人ほどユーザー車検に挑みたがり、その果てに不合格の烙印をもらって帰るのを幾度も見ています。そうした人達は、職員としては迷惑以外の何物でもありませんでしたが・・・)
話を本来の軌道に戻しましょう。スタンドで発見され、救済されていたトラブルの因子が、今はユーザーの双肩にすべて掛かってきていると申しましたが、本来は自動車の使用者が日常的に点検・整備を行わなくてはならないと法で定められているのです。スタンドでは長らくそうしたユーザー点検・整備のお手伝いをしてくれていた訳です。法の定めでは、日常の点検・整備は「使用者の義務」であると書いてあります。ですので、この部分は私達の意識改革に努めることとしますが、スタンドの減少は本当に死活問題です。今後、人口が減り続ければ、過疎地域での石油の供給問題はさらに深刻化し、自治体をも揺り動かす大問題になるでしょう。私の住む地域には、1つだけですがJAのスタンドが生き残っています。距離もそう遠くはないので深刻な事態には至ってはいませんが、私より更に奥地に住んでおられる方々にとっては、唯一のそして命のスタンドです。JAの経営体質もまだ良好なので、早晩に廃業することは無いでしょうが、この先10年15年を考えるとさすがに疑問符が付いてきます。「エネルギー難民」がこれ以上増える事の無い社会になって欲しいと切に願います。出光佐三さんが生きておられたら、この事態にどう立ち向かわれたでしょうか。

売れる?売れない!それは、市場が決める事

2016年10月23日 11時32分59秒 | 日記
「定価12万円のコンパクトカメラ?!!最初はともかく、月産500台が限度だな・・・」誰もがそう呟いたあの時、その後に起こるパニックに関しては予想だにしていませんでした。1990年の9月、12月に発売する予定のカメラ「T2」に関して、どう言う生産予定を組み立てるかについてのミーティングの席上、出席者全員がそう考えていました。最上位機種の「RTSⅢ」の開発と並行して進んでいたプロジェクトでしたが、とにかく外装使用素材が「チタン」でしたので「高額な定価設定にならざるを得ない」「世の中バブルだけど、そうは売れるもんじゃないだろう」とタカを括っていました。実際問題として「チタン」のプレス加工に限界があり「3000台以上の量産要求には答えられない」と業者からは事前に釘を刺されていました。「RTSⅢ」と「T2」の開発の過程は決して平坦ではなく、予想を超えたイバラの道の連続でした。それでも何とか「RTSⅢ」は量産ラインに乗り、次は「T2」と言うところまで漕ぎつけた矢先の事。35万円の「RTSⅢ」が月産1000台で動いている状況で、先々は月産500台へ持っていく計画。12万円の「T2」は、「発売までに、とりあえず5000台を確保。その後は、2000台ペースでの量産体制を目指そう」と言うのは、その時点では十分に妥当な数字でした。プレスリリースを目前にした、この日のミーティングは「一通り市場に製品が出回れば、数量的には問題はでないだろう」と言う結論で終わりました。しかし、その翌週に緊急招集がかかりました。「営業からの情報では、発売時に5000台を上回る予測が出てきた。各工程でどれだけの上積みが可能かを思案しなくはならない。具体的にどれだけ積み上げられる?」部長の顔は途方に暮れていました。「(チタンの)カバーの供給がどうなるか?が全てですね。他は、サービスパーツ分を取り崩して、量産へ回すことで時間は稼げます。ともかく、(カバー類の前組立)サブアッセンブリー次第です」当時、私は樹脂部品の生産担当部署にいましたが、自分の部署は既に2万台分の生産を完了していました。しかし、この状況では、もう2万台は積上げなくては到底間に合いません。しかし、「RTSⅢ」があまり樹脂部品を使わなかった事で、生産工程には余裕がありました。それでも、即座に生産を再開しないと組立に影響が出ます。基本骨格は樹脂部品だったからです。「可能な限りの手を尽くせ!在来機種は止めても構わん!ともかくT2を最優先せよ!」部長の指示から8時間後には、T2の樹脂部品はフル生産に入りました。でも、(チタンの)カバーの供給と電気関係の基板の生産は間に合いそうにありません。2000台前後が限界でした。それでも、工場は一丸となって生産を続け、発売までに8000台を確保する事に成功しました。でも、発売直後に「品切れ」になり、バックオーダーは山積みとなってしまいました。いくら時代はバブリーとは言え、こんなにも売れるカメラになるとは思ってもいませんでした。定価12万円ですからね・・・、ありがたい時代でした。T2はその後、ブラック・ゴールドの特別色や「チタン」に替わって「プラチナ」を外装部品に使ったモデルも発売しましたが、以後月産3000台前後を数年間コンスタントに続けるロングセラー商品になりました。「定価12万円が売れるのか?」の疑問符は、ユーザーの「こんなカメラを待っていた」が消し飛ばしたことになります。

誕生日おめでとう

2016年10月23日 11時28分39秒 | 日記
以外かも知れませんが、今年ある商品が30周年を迎えました。富士フィルムの「写ルンです」正式名称(本当かどうかは?)「レンズ付きフィルム」です。世間一般、デジタル・スマホに変わった今も、コンスタントな需要があるのは驚異的ですが、ここまで生き永らえるとはメーカーも思ってはいなかったのではないでしょうか。1986年当時、フィルムカメラの全盛時代に、低価格・簡便な機能で登場した「レンズ付きフィルム」は、カメラメーカーにとって「脅威の存在」だったと記憶しています。私も某カメラメーカーで、様々なカメラの生産・開発に携わっていた頃です。「遅かれ早かれ、低価格のコンパクト機は国内での生産が立ち行かなくなるのでは・・・」と感じていました。(実際にそうなりました。悪い予感ほどよく当たるものです。)対抗するには、高機能化・高倍率ズーム化・生活防水といった付加価値を高める以外にありませんでした。1990年代に入ると、デジタルカメラの台頭が始まり、光学機器メーカーの海外生産シフトも加速していきます。フィルムカメラは衰退へと向かい、デジタルの波に飲み込まれ、多くの銘機が続々と生産中止に追い込まれます。そんな中でも「レンズ付きフィルム」は巧みに生き残り、今日を迎えました。誠にすばらしいことではありませんか!
しかし、なぜ生き残れたのでしょうか?少し掘り下げてみましょう。まず1つ目は、フィルム機もデジタル機もある共通の「弱点」があったからです。それは「電池」です。肝心な時に「電池切れ」と言う経験はございませんか?昔も今もカメラは電気を食う代物です。フィルム機も一眼レフがAFを取り入れてからは、とにかく電池で苦労しました。デジタル機に至っては、電池が切れれば「ただの箱」にしかなりません。その点、「レンズ付きフィルム」は、電池を食う機構が少ないと言うか殆ど無いのです。しかも、低い電圧で動作してくれるので、電池切れの心配はほぼ皆無です。買ってすぐに使える安心感。これぞ長寿の秘訣でしょう。2つ目は、多少乱暴に扱っても壊れない事。カメラ修理で一番お金がかかるのが「落下による故障」です。精密機械で、しかも実装密度が高いのですから、うっかり落下すれば、相当なダメージを被ってしまいます。また、言うまでもなく水を被ったら最悪です。運が悪ければショートします。その点「レンズ付きフィルム」は、構造が単純でしかも軽いですから、落としたぐらいでは動作不能になることは稀ですし、多少水を被っても平気です。「ちょっとやそっとでは壊れない」設計の勝利と言えます。3つ目は、簡単な構造。これに尽きます。フィルムの巻取りは手動ですし、1メートル未満はピントが合わない固定焦点式。構えてシャッターを切るだけのシンプルな仕組みです。最近のデジカメは、小さな本体に複数のボタンやダイヤルが配置され、動画も撮れますがユーザーさんの予期せぬ誤操作で「思うように写真が撮れない」「カメラが言う事を聞かない」と量販店に駆け込んでくる事例が後を絶ちません。静止画を撮ったつもりが、動画を撮っていたなんて言うのも珍しくもありません。「壊れた」とユーザーさんが言うカメラを調べてみると、大抵は「設定のリセット」をかければ正常に機能するようになります。取り扱い説明書を読んでいれば、慌てふためく事もないのですが、読んでいる人は極々少数。AUTOモードのまま、ただシャッターボタンを押しているだけの方々にしてみれば、カメラがAUTOから外れた場合は、たちまちにして対処不能になってしまうのです。多機能を詰め込んだ結果、意図せぬ場面に遭遇するとユーザーさんは、フリーズするしかないと言う皮肉な結末を多々生んでいるのです。スマホでも起きている事態はほぼ一緒ですが、50連写してしまったり、片っ端からぶれまくった画像しか出てこないと言う悲劇は、スマホならではのものでしょう。多機能化の末に使いにくくなったデジカメに対して、誰でも確実に写真が撮れるシンプルなカメラ。しかも価格も安い。電池切れもない。タフな側面も持っている。こんな商品が今もあることを、私たちは大いに歓迎しなくてはならないでしょう。
さて、この様な「長寿商品」のユーザーはどんな人達なのでしょか?デジタル機に着いて行けない「高齢者」は思いつく方も多いと思いますが、意外と若年層、しかも20代・30代の男女の需要も見逃せないのです。それとなく「なぜフィルムなんですか?」と聞いて見たところ、こんな答えが返ってきました。「人とは違う写真・画像が撮れるから」「デジカメやスマホで撮った写真・画像は、みんな同じだけど、フィルムは1枚1枚がみんな違う。そこがいいんです!」しかも、現像してプリントした写真をもう一度スマホで撮って、ブログやホームページにUPするのだそうです。「現像するまで結果が分からない事もワクワク感があっていい」と言われる方も多々おりました。デジカメの性能・スマホの性能にそろそろ限界が見えてきた中で、他人と違う「個性的な表現・画像」を求める人々にも支持が広がっています。フィルムカメラの操作は出来ないけれど、「レンズ付きフィルム」ならユーザーが迷うことは無いですから、こうした新たな需要も掘り起こしているのでしょう。フィルムの種類は年々減り続けていますが、中古市場でフィルムカメラの一眼レフは、まだタマ数もあり状態によっては40万円代のプライスを付けている商品もあります。個性を求めるユーザーさん達にとって、フィルムはまだまだ必要不可欠なアイテムなのです。現像料金の値上がりやフィルムそのものの値上がりもありますが、これからも「レンズ付きフィルム」が活躍する世の中であって欲しいと願う次第です。30周年、おめでとうございます。

逢ってみたい彼女

2016年10月23日 11時25分33秒 | 日記
話して見たい人がいます。聞いてみたい人がいます。遠くて近い国に。その人の評判は、日本において「不快指数100%」と言っても過言ではありません。外遊先での「告げ口外交」や「公式発言」は大抵、私達日本人を不快にさせます。テレビ画面に現れるだけでも「また何か・・・」と疑心暗鬼に陥る人。彼女の名前は「朴槿恵」。韓国の大統領です。彼女は、足のつま先から頭の天辺まで「反日」に浸かっているかのように見えますが、内心はどうなのでしょうか?心の奥底では、どう考えているのか?一人の人間としての発言を私は聞きたいと思うようになりました。今は、一国の舵を取る大統領ですから、心の奥底は微塵も見せませんが(そうなったら別の意味で大変です。大統領を殺す国ですからね。)彼女の本音をぜひ聞きたいと言うのは、些か突飛な考えでしょうか?
ここで、時間を巻き戻して見ましょう。「朴槿恵」は、意外と日本に縁が深いのです。正確に言えば、彼女の父親と日本はある決断に関係しているのですが、その決断が今も両国に溝を生じさせる遠因になっているのですから、皮肉なものです。1965年、日韓両国は「日韓基本条約」を締結します。この基本条約において「両国間の請求権は完全かつ最終的に解決した」と記しました。韓国が日本に対して請求出来ないだけでなく、日本が韓国に投資した資本及びインフラ・個人財産などに対して日本も韓国に請求出来なくなっています。そして、韓国に経済協力の名分で当時としては破格の支援を行い、それが韓国の経済発展の切り札となりました。日本は、国際裁判と言うプロセスを経て代償を支払い、すでに義務を終えているのです。この条約を結んだ当時の韓国の大統領は、誰あろう「朴正煕」。現在の韓国大統領「朴槿恵」の父親です。軍事クーデターで政権を握った彼は、反日運動を戒厳令で抑え込み、日韓国交正常化に踏み切ったのです。反日と言う「理念」より経済と言う「実利」を選択した行動には、戦いに勝つか負けるか、戦闘力重視の現実的組織集団出身の軍人「朴正煕」だからこその英断だったと思います。後に彼は銃弾に倒れ暗殺されますが、「実利」を取らなければ、今日の韓国は無かったでしょうし、サムスンもヒュンダイも他の財閥も、今日の発展は望めなかったでしょう。1974年、朴大統領の母親である「陸英修」が暗殺された事件後、留学先のフランスから呼び戻され、父のそばでファーストレディ役を務めます。1979年に父である朴正煕暗殺事件の際の第一声は、「休戦線は大丈夫か」であったそうですが、両親を共に暗殺された衝撃はさぞ辛かったろうと思います。それから、彼女が政界にデビューするまでの間、大統領職は軍人から文民出身者に替わっていくのですが、軍人時代「反日運動」は比較的穏やかでした。(と言うか、首尾良く抑え込まれていたと言うべきでしょうか・・・)1993年の民主化以降に生まれた「金泳三」政権以降、「反日運動」は過熱し、国是となって行きます。「歴史の正しい立て直し論」は、日本の教科書の記述にまで及びました。そして、こうした異様な「反日」を主導したのは、メディア(知識人)でした。彼らが「反日愛国」「民族主義」を繰り返し強調することで、竹島や慰安婦・強制徴用の問題を「人道的な問題だから、条約では解決できない」と言い出しました。悪い言い方になりますが「いつでも追加で賠償請求できる」と言い換えているのです。黙々と代償を支払い、請求権は条約によって完全かつ最終的に解決済みにも関わらず、自分の都合を理由に40年経ってから「まだ足りない」と言われたら、あなたならどうしますか?そうした、私たちの「常識」が一切通じない国が韓国です。
しかも、韓国は現在、内も外も実利重視で、とにかく金・金・金の日常です。彼女が、他国で「告げ口外交」の傍ら「貿易」や「投資」の話を積極的に進めているのは、韓国の伝統思想からすれば「卑しい行為」に当たります。「卑しいけれどお金は欲しい」と言うのは、一見すると矛盾することではありますが、矛盾をかなぐり捨てても拝金主義に走らざるを得ない理由があるのです。韓国のGDPの35%は、サムスンとヒュンダイの財閥2社が占めていますし、貿易依存度は驚異の96%!!(ちなみに日本は27%前後です)サムスンがヒュンダイが赤字になれば、総崩れ状態なのです。ギャラクシーノート7の発火問題は、サムスンにとってと言うか、韓国にとって致命傷以上の大問題なのです。極端とも言える経済の偏依存構造と貧弱な内需。彼女が必死に外遊先で貿易協定や投資を持ちかけるのは、背に腹は代えられないお家の苦しい事情があるのです。しかも、韓国が世界貿易で稼いでも、その半分以上を「日本に引き渡している」との指摘もあります。(部品や特許使用料などで)対日貿易は戦後一貫して赤字ですし、中国に人件費で抗えず、先端技術で日本に遠く及ばないと言うジレンマにも陥っているのです。彼女の心中はどうなっているのでしょうか?日本に「助けて」と間違っても言えない立場。安倍総理が韓国語で挨拶しても、握手すらしない外交姿勢。火の車の自国経済。彼女は何処へ行こうとしているのでしょか?
そんな彼女も、昨年ある「決断」をしています。2015年12月28日の日韓外相会談で結ばれた「慰安婦問題日韓合意」です。書面こそ交わされていませんが、安倍総理との電話会談で、「慰安婦問題を含め、日韓間の財産・請求権の問題は1965年の日韓請求権・経済協力協定で最終的かつ完全に解決済みとの我が国の立場に変わりないが、今回の合意により、慰安婦問題が「最終的かつ不可逆的に」解決された」ことを彼女も確認し、自国民に対して談話を発表しています。この合意については、まだ完全に軌道に乗ったとは言いかねる部分が多くありますが、父親に劣らぬ「英断」と言えるのではないでしょうか。彼女の評価はまだこれからですが、人間「朴槿恵」の本音はどうなのでしょうか?職を退いた後でも構いません。彼女の真の姿と真意を聞きたいものです

繰り返した悲劇

2016年10月23日 11時19分35秒 | 日記
1991年8月27日。一人の男性がなくなりました。それから9年後の2000年3月。最高裁判所は、亡くなった男性の遺族の訴えを全面的に認め、実質勝訴の判決を言い渡しました。判決を受けた会社は、大手広告代理店「電通」。あの日から16年後、悲劇はまたも繰り返されました。まだ20代の若い命が奪われました。会社は、16年前の悲劇から何も学ばなかったのでしょうか?なぜ、あんな過酷な事をさせたのでしょうか?口惜しさと情けなさで心が痛みます。2000年の最高裁判決の後、メンタルヘルスケアの重要性について様々な対策が打ち出され、国も企業もこの様な事が起こらないように手を尽くして来たはず。しかし、歴史は繰り返してしまいました。「電通」の企業体質は何も変わらなかったと言うか、日本企業は何も変えなかったと言えるのではないでしょうか?亡くなられた彼女は、幾度もシグナルを発していました。でも、そうしたシグナルは届かずに落命されてしまいました。こうした事は「電通」社員のみならず、私たち日本人全体に向けられた警告でもありはしませんか?「私には無理です」と言えない言わせない上司や会社組織の在り方を根本から見直す必要があるのではないでしょうか?
「電通」の企業責任は、どう足掻いても逃れられるものではありませんが、日本企業全体にも「電通」と同じ刃は向けられています。長時間残業・交代勤務・休日出勤、私たちの働き方も変えていかなくてはならないでしょう。ブラック企業と言われる会社以前に「日本企業すべてがブラックもしくはブラック予備軍企業」と言っても過言ではありません。彼女のシグナルを見ても「救えた命」を見殺しにしてしまった罪は、日本企業すべてが背負って行かねばなりません。他人事ではなく、次は「あなたの部下が自殺したらどうなるのか?」を真剣に考える必要があります。次は「あなたの会社」が被告席に座る事の無いように対策を部下との接し方を考えてみてください。