昭和ヒトケタ生まれだった亡母は、いわゆる青春時代が、物のない時代だったので。
のち。
若い女の子のファッションが移り変わる時々を通して。
「今、若かったら、あんな恰好してみたいわぁー」
と、よく言っていた。
それなのに。
ワタシが、もう、いい大人の歳に、茶の間で何気なく、
「一度、きんぱ」
一度、金髪にしてみたい、と言い終わる前に、横から、
「だめッ!」
なぜなんだ?
(ちなみにワタシは、母が夢みるような娘ではなかった…。ワタシの服を買おうとして母が選ぶのは、「フツーに、華奢な女の子なら似合う」もので。今思うと、骨太なワタシに合う服ではなく…。お買い物が、ほんと、苦痛だった…。
でも、のちのち、私本人の選ぶアウター、コート、はおり物が、「着ると肩が楽」傾向があるとわかり。普段から、母子で服を共用していたが。黙って私のアウターを母が着たとき、
「これ、着たでしょ?」
「なんで、わかるのー? ちゃんと戻しておいたのにー」
母の方が小柄だったので、袖が長すぎ、内側に折り返したままだったり、ポケットにハンカチが入ってたり…)
そんな母も、もういない。
生きていた人が、死んで、もういない。
さて。
今、私は、那須川天心を見ると、あの髪色がうらやましい。
誰も止めないはずだけど…。
若い子が、わざわざ髪の黒色を抜いて染めるからファッションなのであって。
白髪染めをいつやめようかと思案している時期に、やることではない…。
毛が細くなっていて、いたむのもマジ心配…。
歳をとるとわかるが、白髪より、「毛量が少ない」方が、悩むぞ。
豊かな白髪は、それなりに、さまになる。
若い頃は、毛量の多さに悩んだりするのにねー。
たった一度の人生なのに。
うまくいかないねー。
電車の中とかで、むっちむち太めの女子高校生の、今時じゃない顔立ちの女の子を表情を見て、
(本人は悩んでるんだろうな…)
と思うけど。
(容姿をどうこう言っちゃいけないと、公式には言われているけど、日本の現実は、まだ違うよね…)
お肌、ピチピチ。
あとで戻ってくるものじゃない。
今が一番、きれいな時かも。
(あたしなんか、どうせ…)
と思ってないで、いろいろ試してみたら、いいかもよ。
自分も、若い時そんな風に思えなかったし、その時代に戻っても、できないと思うけど…。
骨太体形なんで…。
でも。
もったいないな、とは思う。
時間は逆には流れない。