小さい発見でも楽しいもの。
たとえ小さくても積み重ねていくと、さらにまたそこから発見があるかもしれません。
ウォーキング中に「発見」があると、ウォーキングがやめられなくなります。
色々関心を持ってみるといいですよ。
たとえ小さくても積み重ねていくと、さらにまたそこから発見があるかもしれません。
ウォーキング中に「発見」があると、ウォーキングがやめられなくなります。
色々関心を持ってみるといいですよ。
※できれば、この記事は「PC版」でご覧ください。
丘珠(おかだま)空港(東区)の2階にあるパネル展「札幌いま・むかし 探検ひろば」を見て、「豊平橋(とよひらばし)」に興味を持ちました。
歴代の豊平橋の写真が2枚展示されていたのです。
調べてみると、豊平川の洪水によって何度も架け替えられていることがわかりました。
<豊平橋の歴史>
1857(安政4年) 石狩調役・荒井金助、札幌越新道を横切る豊平川に
渡し守(渡船)を置く。
1871(明治4年) 豊平川に最初の橋が架かる。ただし、西側の派流に2
連の丸木橋。
→1ヶ月足らずで流される。以後も架けては流失を繰り返す。東側は渡し舟。
1873(明治6年) 札幌本道が開通し、東側にも3連の丸木橋が架けら
れる。
→渡し船の廃止。
1875(明治8年) アメリカ人技師・ホルト設計の「木造トラス橋」が
完成する。
→国内初の洋式橋梁であったが、1877年5月、洪水のため流失する。
1878(明治11年) 札幌農学校2代目教頭・ホイーラー設計の「木鉄混合
バー・トラス構造橋」が架けられる。
1888(明治21年) 「木造ハウ・トラス橋」に架け替えられる。
→流失。
1898(明治31年) 岡崎文吉設計の「プラット・トラス橋」が架けられ
る。
→橋長64.8mのうち、36.6mが道内初の錬鉄製による「プラット・トラス」、
残りは「木造ハウ・トラス」であった。
1909(明治42年) 融雪時の洪水により、橋が傾く。
1910(明治43年) 厳冬や当時史上最大の洪水などにより、工事が進め
られず、仮橋をかけての応急処理で凌ぐ時期が続
く。
1924(大正13年) 東京帝国大学名誉教授・広井勇指導の下、山口敬助
と高橋勝衛設計の「プレースト・リブ・タイド・
アーチ橋」が架かる。
1960(昭和41年) 現在の豊平橋(桁橋)が架かる。
丘珠空港のパネルには、1878年、ホイーラーが設計した橋と、1898年、岡崎文吉が設計した橋の写真が出ていました。
日本近代土木の進歩の一端を見るかのような「豊平橋」の歴史。
橋の構造名はちんぷんかんぷんだけれど、壮大なロマンを感じました。
例えば、前述の広井勇は「港湾工学の父」と呼ばれ、ホイーラー教頭の下、札幌農学校で学んだ生徒であり、岡崎文吉は札幌農学校で広井の一番弟子でありました。
何度も流失を繰り返しながらも、人々のたゆまぬ努力によって架けられた「豊平橋」。
安全に渡れることに感謝しながら、これからは歩こうと思います。
戦後経済成長とともに自動車が普及すると、幅員の狭い豊平橋付近はよく渋滞が起きたそうです。
渋滞を緩和するためかけられた新豊平橋には、旧豊平橋で使用された御影石が再利用されています。
ちなみに旧豊平橋は北海道博物館にて模型が作られ、保存されているそうです。当時の市民を魅了した名橋。「北海道三大名橋」の1つと称されたそうです。今度、見に行ってみようと思います。
<参考資料>
- ウィキペディア「豊平橋」
- 丘珠空港リーフレット
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