≪前回からの続き
谷津庚申塔(やつこうしんとう)
庚申塔は「庚申待」を3年18回続けた記念に建てられるもので、
江戸時代までは、結構色々な場所に建てられていたと考えられます。
しかし、明治時代、政府の方針や現代の都市開発などで次々と姿を消したため、
「谷津庚申塔」のように道脇に残されているものはかなり貴重なのではないかと思われます。
庚申塔や庚申待等については、一生懸命調べてまとめた当ブログの記事「庚申(2)」を
ご覧いただければと思います。
私が調べたところによれば、「庚申待」は長寿や極楽浄土を願って行われたようですが、
「谷津庚申塔」の場合は疫病や飢饉といった災いが入ってこないように建てられたとあり、
その点で、非常に興味を持ちました。
災いが入ってこないようにという願いから村境や辻に建てられたとのことです。
そう言えば、横須賀市(神奈川県)の追浜にも同じ理由で六地蔵が祀られていました。
(横浜市と横須賀市の境=武蔵国と相模国の境)
疫病がどれだけ当時の人々を苦しめていたか、推察することができます。
谷津庚申塔は3基あり、左から「青面金剛文字塔」(天明9年=1789年)、「青面金剛立像塔」(貞享4年=1687年)、
「青面金剛立像塔」(享保10年=1725年)となっています。
右端の庚申塔は青面金剛の足元に三猿(見ざる、聞かざる、言わざる)を彫られており、
よく見かけるタイプの庚申塔。
お猿の描き方が気になるところではあるのだけど、風化が進んでいて、よく分かりません。
もう少しはっきりしていれば、石工さんの表現力を鑑賞することができるのですが、
それがなかなかできないのが庚申塔の悲しいところ。
中央の庚申塔は三猿が塔の三側面に掘られており、かなり凝っております。
こういう庚申塔もあるのですね。覚えておこう。
塔正面に「聞かざる」。
左側面は「見ざる」、右側面は「言わざる」かな。
横浜金沢観光協会のHPにて紹介されている案内図について
「谷津庚申塔」の所在地について、横浜金沢観光協会が案内している場所は間違っており(2015年7月10日現在)、
その件については同協会に一報を入れたのですが、スタッフの対応の様子を見ますに、
すぐに訂正してもらえるかどうか分からず心配なので、もし、足を運ばれる場合は下のgooの地図でご確認ください。
なお、横浜金沢区を歩く際の道案内として、金沢区作成の歴史スポット案内アプリ「かなざわ歴史散歩」の
アドレスを紹介しておきます。(こちらは正しく表示されておりました。)
かなざわ歴史散歩 : http://kirakana.city.yokohama.lg.jp/rekishi_sanpo/
「横浜金沢魅力帳」の方にももうちょっと詳しい地図をつけてくれるといいんだけどなぁ。
ガイドブックなら当たり前のことだと思うのだけど。
参考文献
『横浜金沢魅力帳』(横浜市金沢区地域振興課 発行)