この度期待の新鋭・サクソフォニストの本堂 誠くんのデビューのプロジェクトに関わらせていただいています。藝大の後輩でもありますが、パリ音楽院でも研鑽を重ね見聞を広め世界の舞台で評価されてからの今回のデビューリサイタル。満を持してとはこのことよ、というタイミングで意外にも初めてのソロ・リサイタルだったそうです。東京・大坂公演共に皆さまから暖かい熱い拍手をいただき大変熱狂的な公演になったことは、共演者の私としても安心もし、ありがたくもあり、改めて心から感謝をお伝えしたいと思います。
今回のプログラムがサクソフォン・リサイタルでありながらバリトン サクソフォン1本で行われたこと、現代曲のソロを2曲(これもまた話題の作曲家の作品)と、チェロ・ソナタを演奏したことがとても特別なことだった気がします。彼のバリトン愛が大変深くその可能性を信じて演奏する姿は音楽への純粋な愛とともに皆さまに響いたことと確信しております。
さてここからは私の事情です。
そのチェロ・ソナタは、ショスタコーヴィチとラフマニノフという...プロコフィエフを含めてロシアの3大チェロソナタ的なものですが、それはそれは作曲家の顔ぶれをみれば分かる通り、ピアノがそれはそれは熱く、厚く書かれているのです。羽石道代プラスシリーズの第9回でプロコフィエフのソナタは福富祥子氏のチェロとともに経験済みなのですが(その後山口春奈氏のバリトン・サクソフォンとも演奏しました)、この2人の作曲家はちょっと実は疎遠でございまして...。彼からお話をいただいたときに何回か聞き直したのですがそれは間違いではなく、これは大変だと姿勢を正してもなんというか座り心地が悪く、長くモゾモゾしておりました。。
ショスタコーヴィチは本当に疎遠だったので先ずは人を知るところから、ということで本を読み漁り、おかげさまで自分なりに少し理解が進んだ気がしています。ラフマニノフはホロヴィッツ・ファンの1人でもありますのでもちろんたくさん聴いて楽しんできました。
しかしですよ。
ラフマニノフに関して、私を長く知ってくださっている方は 自分同様 なに!?あなたがラフマニノフ? くらいのリアクションだったのではないかと。それぐらい遠いでしょう、ええ。
ソロの作品は少し触れるも初見程度で終わり、チェロ・ソナタをキヨミズの勢いで発案するも流れ(プロコフィエフになった)、もうあなたに出会う機会はないかなというところに ストっといきなり隣に座ってきたので
おおおお なになに えーと、えーと...みたいな状態ですよ。
とはいえ、ずっとよそよそしくもしていられないので、えいや と向かうもさすがのロシア・ピアニズム。音の洪水の渦に飛び込む事すらできないし、スケールの大きさがハンパないことはわかっても奥深い森の中で霧に包まれ動けず、などとごちゃごちゃやっていても焦りが襲いかかってきて(焦りに関しては自分のせいもありますけどね...)なかなか居場所を決められずにいました。
この感じ...ロマンとは何かを私の心は忘れていたのです。
私はピアノを弾くことは演じることでもあると昔から思っているので、人に見えなくても役作りをしてそこに自分をはめていくという作業が私には結構大事なのですが、そんなに作らずスッといける場合と作り込まないと全くいけない時とある。ロマン強めの時は私はもう、大変ですよ。心が、疲れる...(って皆思ってないの?と心配になるくらい疲れるのです)。普段そんなに使ってたら心は壊れてしまうので、私は普段鍵をかけておく癖があるようですが、そこに大事なものがあるようなのです。今回はその鍵を開けるのも久しぶりで鍵を探すのからがもう大変、鍵を開けてからは使い方を思い出すのに大変、使って大変。それが私生活にも少し影響してしまうのでいきなり不安に襲われたりして大変。(ここは客観的に見て面白いな自分と思っている程度で、本当に乱れてはいませんので。)
で、一番困るのはそのざわざわする心で難しい音型を練習・演奏するときでも冷静な頭が必要なので、その意識のバランスがもう、大変、です。さらにパートナー(サクソフォン)もいるからそれを忘れては弾けないし、大変。とはいえ、そこが人と一緒に演奏するときの素晴らしいところで、本堂くんのサクソフォンの旋律はいつも進むべき道を明確に示してくれたので、大曲を演奏する上で迷わないための輝く道標でした。自分1人では足りないロマンも相手に刺激されることで生まれたものもあったと思います。いつも感謝。
ロマン。
私の中で別の言葉に言い換えるとすれば、憧れ。
嫌いじゃないし、持っていないわけではなさそうですが、サボっていたのかもしれません。疲れちゃうから。(ああ大人になってるなあ 笑)
ロマンというものは潤っているんじゃないかと思う。キラキラでも、ドロドロでも、溢れ出ているのがロマンな気がする。それをこちらが求めて「欲しい!」と思うとこっちはどんどん渇いてくる。心をカラカラにして、その潤いが自分にどれだけ入ってきてもいいような状態にするのかな、だからカラカラで渇いて辛くて、疲れる。だから感動すると涙って出るものなのかしら、泣いた時にスッと潤う感じってあるもんな。
と、普段血も涙もないと思われている私ですら、こんなに考えてしまうんだから、すごいかも、ラフマニノフ。
いい意味でもっと渇いていたいものだ、と気づかされたところです。
つまり
あ、わかった、
1口目のビールが渇いた喉にサイコー ってこと。
(もちろんビールではなく日本酒でも可。写真は今イチオシの日本酒 赤武 と すず様。)