黒い大きな馬に乗って街の中を移動している夢を見て、目が覚めた。心のどこかで馬で暮らす生活に憧れがあるくらい、馬は好きだ。ただ人に話すと車で暮らすより高いよ、と言われる...
それはさておき、大変遅ればせながら、ヒマなついでに映画「蜜蜂と遠雷」を観た。その当時、小説も読もうかなあと思いながら読まず、その後映画化された際には友達や後輩がピアノ指導や演奏などに関わっているのも知っていたし、映画の音楽を今をときめくピアニストを4人も使って本格的、こだわりの実写化に興味がありつつ、...先延ばしして観ておりました。内容の情報は予習せず、ひとまず黙って観ることに。
その映画の最初のシーンで黒い馬が駆けてくる。ということで、冒頭の馬の夢と重なってここに書きたい気持ちになったので書いてみます。(内容のことにはあまり触れません。)
私はソロでそんなに多くのコンクールを受けていたわけではないので大きなことは言えませんが、なんというか、ソワソワとゾワゾワが思い出されて最初変な気持ちになっていた。本番前の袖の様子なんてなかなかで、机に前の人の楽譜と手袋(あとホッカイロね)が置いてあったりして、おおおお、これこれ...みたいな。ドキドキするよねえ...
映画の中では新曲(即興を含むなんて面白いね)の様子と、本選の協奏曲のシーンが音楽としては楽しみどころ。本選の曲が、なになに、プロコフィエフの2番と3番と、バルトークの3番、ですって...!
この辺りで一気に ググッと「ピアノの世界」に自分が戻った気がした。
なぜなら、バルトークの3番は大学卒業の際、新人演奏会で藝大で弾かせてもらったから。そして、もう一度弾きたいなと思っているけどなかなか機会に恵まれない。そしてプロコフィエフの3番は、どハマりして聴きまくっていましたが、音を出すにはちょっと至らなかった。
いずれにせよ、懐かしー!
と思いながら、この2曲はあまりに聴きすぎて、バルトークも自分が弾いてからは全然触れずにそっとしまっておいたから、思いがけず聴いてしまって、その時の体験が一気に思い出された。(お話では一番個性派の子がバルトークを選んでいたのもちょっと気になるところ。)
バルトークの3番の協奏曲は、1番(これが私の協奏曲デビューです。当時の藝大オケの皆様本当にありがとうございました)、2番(本当は一番弾きたかったけど私には手が足りない)、のエグさに比べてびっくりするぐらいソフト。バルトークが奥様に「これを弾いて生きるんだよ...」という想いとともに遺されたものだから、一般ウケも狙える方向性で書かれたとか。とはいえ、バルトークの個性はしっかり際立っていて、自然の美しさ、空気の清さ、太陽の明るさ、尊い祈り、生命の讃歌。2楽章が潔くて特に心に残る。透明感を和声で構築して巨大な空間を作る感じが楽しかったな。
ピアノ協奏曲。そう、ピアニストにとって協奏曲って。かなり特別。
そうねえ ぶっちゃけ、やらなくてもいい、やる機会ない。やる時、練習はピアノ2台。人生で初めて「伴奏される」。
不思議なんですよね、ピアノソロは常に全部弾いているので、休みの間の居心地の悪さとか。笑 そしてオケパートの方が(ピアノで)弾くのが難しかったりするし。いいのかなあこれで...とかいう感じで触れる気がする。(そして終わる)
何せピアノは勉強する曲も多いのでソロの曲だけでもてんやわんや、協奏曲はやっぱりある程度本番を見据えたもの、コンクールのため、もしくはラッキーな場合はオーケストラと共演の機会を得て、ということなので、単純に勉強のため、と取り上げることすら無いかもしれません。ピアノ2台ってだけでも練習の環境も大変だしね。(相手を探すのも?)
だから憧れの曲をコッソリ自分で練習したりして、その日を待つ。(そして終わる )
さて。
時を同じくして、別の楽器の友達から「ピアノの協奏曲のレッスンってピアノパートしか注意されないの?あまりにオーケストラのパートを知らないで弾こうとする人が多い気がする」
また別の楽器の先生から「誰が言ってたかな...協奏曲ってさ、誰のためのものだと思う?オーケストラのものなんだって」
ははあ...なるほど。そう考えると色々考えが変わってきますね。どうかな、ピアニストの方々。どう思う?
自分がやった時はどうだったんだろう...まずステージに複数人で立つことすら少ないので、正直もう自分の中ではお祭り騒ぎっていうかあまりに日常と違う環境すぎてアタフタしてしまうところ、私がしっかりせねば...信じて弾かねば...と思ったことは覚えているけど。そして間近で等身大(?)で聴けるオーケストラは感動もので、リアルな音色をとても楽しんでいた、とは思う。...どうだったんだろう...。
今はもっと違うことができるんだろうか。
近年ご縁あって、ブラスの一員として弾くというお仕事をさせていただくのだが、何せピアノという楽器が長くて 笑 楽器は突っ込んで置いてあっても自分は誰よりも外に座っているので、中の音をキャッチしながらその一員として弾くのはまた難しい。ただ、協奏曲のあのど真ん中のポジションでオーケストラを聴いたら、また何か違うものが聞こえてくるんだろうか、今の自分には。
でも、オーケストラのためだろうがなんだろうが、あの素敵な曲たちをオーケストラと一緒に弾ける「協奏曲」の魅力は何者にも変え難い。オーケストラって素晴らしい生き物でいつもいいなって思ってるから、その一員としてまた音を出せる日がきたら幸せだな。私は結構ラッキーで何度かその機会をいただけたけど、ああでも、もう一度、バルトークの3番は、ちょっと弾いてみたいかもしれない。
あ、ヒンデミットの「4つの気質」も協奏曲ではないけど、大きい編成でやってみたいな(弦楽合奏ですよ...)
あ、それとまた「皇帝」もいい...
と、欲は尽きていないようです。私も人生にまだ未練あるなー
映画の中で、BGM的にリストのメフィストワルツが流れたのも懐かしかったな...ホロヴィッツの録音をどれだけ聞いただろうか。これももう長年聴いてなかったから衝撃を受けた。
久々にテクニックで「弾きまくる」のもピアノの魅力かも、と思い出しました。
確かに、こんな動き、指先を左右にに這い回らせる謎の動きは生活の中にないから、見てる人はびっくりするよな。そして音が波のように流れ出てくるんだから。
ピアノを弾く、を見る、というのも確かに単純に面白いかも。と、素直に思えました。
あと、映画では主人公たちの心の動きにも共感がありました。天才っぽさも、いるいるこういう人、みたいな感じでリアルだった気がします。それと同時に、当時、映画が公開され4人のCDが発売された頃(これも斬新だなと思っていました)、たまたま読んだ記事に、日本のピアノのコンクールを受ける人たちのある一面についてビシッと物申していて、そのピアニストの発言にも共感を持ちました。
人気が出たり、一生懸命取り組む方が増えるのはいいことですが、その物事の本質を見ようとせず安易に捉えてしまうと、勘違いしてしまうこともあるかもしれませんね。クラシックを勉強することも、ましてやコンクールも。
何事も本質はそう簡単には見抜けず、近づけないものです。それを助けてくれるのは、手っ取り早くはできません。幅広く勉強したり日常・非日常の様々な経験をすることが、後に自分の目を、耳を開かせてくれるでしょう。音楽に携わる者として何がゴール(はないから目標・目的)なのかを見失いたくない、見失わせたくないと思います。
とはいえ、協奏曲を実際オーケストラと弾くのは最高に素晴らしい経験だったかな。そんな素晴らしい機会が自分の人生にあったんだと、時には支えになるレベルで。
でもそれ以降、「暗譜してない...いやそれどころか譜読みもしてないのに、これからGPなんだけど...もうホールでオーケストラが音出しをしているんですけど...というのを客席で聞きながら まずい..本当にまずい...」という夢を見る、というのがかなり自分が追い込まれた時見る夢の定番となりました。
怖い。
写真はうちの黒い馬、ならぬ、うちの黒い犬、すず様。