『南京事件 国民党極秘文書から読み解く』 東中野 修道:著
P137~・・・この「序文」とベイツからティンパーリへの手紙も興味深い・・・。
第6章の文戦闘の結果:「揚子江デルタ地帯に於ける、日中両軍の戦闘の結果、
少なくとも30万の一般中国市民が生命を失った。」と記されているらしい。
差し押さえられた文日本軍の虐殺:「揚子江デルタ地帯、30万人虐殺」
テインパーリはわざと、日本の検閲に引っかかる様に、工作し、
差し押さえられる様に仕向けた。
『差し押さえられた』と言う、事実が欲しかった。
詳しくは「ご本」を買って、読みましょう~。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
ダーティン記者は中央宣伝部の董顕光副部長とは旧友だった。
フィッチ師は、呉鉄城と交流があり、妻は、蒋介石婦人と「親友」。
娘のマリオン・フィッッチは虐殺写真の提供者。
ベイツは中華民国政府の顧問。
ティンパーリは中央宣伝部の顧問。
・・・・と、書いてある。
東京裁判当時、単行本『戦争とは何か』とベイツは何ら関係が有るとは思われていなかった。
ベイツ氏は、東京裁判で
『城内で12000人の男女及び子供が殺され、更に3万の兵士が降伏して武装解除されてから72時間後に機銃掃射により射殺された』と、証言した。
☆ベイツ氏、その半年後、南京での声明
「日本軍の南京占領の最初の2,3週間に殺された非戦闘員の男女子供の死者数は、どんなに少なくても12000であり、武装解除された軍服姿の男の死者数は、35000であると確信した。・・・・・。
4,5万、数万は、ここら辺りから来てるのかなぁ・・・??
P227
やっと判明した:『戦争とは何か』が中央宣伝部が制作した宣伝本であった事、その他、数点・・。
もしも、日本の弁護団が今日判明している事を、把握していたならば、恐らく
東京裁判の展開は、違っていただろう・・・。
・・・・と、書かれてある。
東京裁判でアメリカ側は、
南京大虐殺「数万」という起訴状を読み上げた。
2年半後、「20万以上」という「判決」が朗読され、
その翌日には、「10万以上」の責任を問う「判定」が下された。
そして松井石根は、刑場の露と消えた・・・。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
しかしねぇ・・、ワシ、思うんだけど、
董顕光という国際宣伝処のオッサンは大したモンだわ~。
敵ながら“アッパレ”だ!・・・頭が良い。
流石、「孫子の兵法」を持つシナ!
情報戦で、完敗を喫した日本・・。
プロパガンダ戦で負けたのだから、それは仕方が無い事だ・・・。
今度は、我々「今を生きる日本人」が、その真実を暴く努力をする番だ。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::
本の内容を、あんまり何でもかんでも書いてしまったら面白く無いので、この辺にしよう・・。
後は、大体以下の事が書かれてある。
国民党と外国人の親密な関係。
安全地区が安全地区の体を成していなかった事。
国際委員会に重大な落ち度があった事。
開戦前の人口が20万人と云う共通認識があった事。
安全区に逃げたシナ兵が、捕虜の資格が無かった事。
日本人とシナ人の区別がつきにくいので、勘違いの可能性があった事。
国民党も外国人も、その場その場で、
発表する事柄を、巧みに使い分けていた。
P137~・・・この「序文」とベイツからティンパーリへの手紙も興味深い・・・。
第6章の文戦闘の結果:「揚子江デルタ地帯に於ける、日中両軍の戦闘の結果、
少なくとも30万の一般中国市民が生命を失った。」と記されているらしい。
差し押さえられた文日本軍の虐殺:「揚子江デルタ地帯、30万人虐殺」
テインパーリはわざと、日本の検閲に引っかかる様に、工作し、
差し押さえられる様に仕向けた。
『差し押さえられた』と言う、事実が欲しかった。
詳しくは「ご本」を買って、読みましょう~。
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ダーティン記者は中央宣伝部の董顕光副部長とは旧友だった。
フィッチ師は、呉鉄城と交流があり、妻は、蒋介石婦人と「親友」。
娘のマリオン・フィッッチは虐殺写真の提供者。
ベイツは中華民国政府の顧問。
ティンパーリは中央宣伝部の顧問。
・・・・と、書いてある。
東京裁判当時、単行本『戦争とは何か』とベイツは何ら関係が有るとは思われていなかった。
ベイツ氏は、東京裁判で
『城内で12000人の男女及び子供が殺され、更に3万の兵士が降伏して武装解除されてから72時間後に機銃掃射により射殺された』と、証言した。
☆ベイツ氏、その半年後、南京での声明
「日本軍の南京占領の最初の2,3週間に殺された非戦闘員の男女子供の死者数は、どんなに少なくても12000であり、武装解除された軍服姿の男の死者数は、35000であると確信した。・・・・・。
4,5万、数万は、ここら辺りから来てるのかなぁ・・・??
P227
やっと判明した:『戦争とは何か』が中央宣伝部が制作した宣伝本であった事、その他、数点・・。
もしも、日本の弁護団が今日判明している事を、把握していたならば、恐らく
東京裁判の展開は、違っていただろう・・・。
・・・・と、書かれてある。
東京裁判でアメリカ側は、
南京大虐殺「数万」という起訴状を読み上げた。
2年半後、「20万以上」という「判決」が朗読され、
その翌日には、「10万以上」の責任を問う「判定」が下された。
そして松井石根は、刑場の露と消えた・・・。
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しかしねぇ・・、ワシ、思うんだけど、
董顕光という国際宣伝処のオッサンは大したモンだわ~。
敵ながら“アッパレ”だ!・・・頭が良い。
流石、「孫子の兵法」を持つシナ!
情報戦で、完敗を喫した日本・・。
プロパガンダ戦で負けたのだから、それは仕方が無い事だ・・・。
今度は、我々「今を生きる日本人」が、その真実を暴く努力をする番だ。
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本の内容を、あんまり何でもかんでも書いてしまったら面白く無いので、この辺にしよう・・。
後は、大体以下の事が書かれてある。
国民党と外国人の親密な関係。
安全地区が安全地区の体を成していなかった事。
国際委員会に重大な落ち度があった事。
開戦前の人口が20万人と云う共通認識があった事。
安全区に逃げたシナ兵が、捕虜の資格が無かった事。
日本人とシナ人の区別がつきにくいので、勘違いの可能性があった事。
国民党も外国人も、その場その場で、
発表する事柄を、巧みに使い分けていた。
>テインパーリはわざと、日本の検閲に引っかかる様に、工作し、
>差し押さえられる様に仕向けた。
ディンパリーはデンマークの大北通信から電報を送ったのに、なんの権限もない日本軍が検閲した、というのが事実ですな。第三国の通信社に踏み込んで検閲するほど日本軍が野蛮だとは想定していなかったんですよ。
>開戦前の人口が20万人と云う共通認識があった事。
そんな共通認識などありません。
>東京裁判でアメリカ側は、
>南京大虐殺「数万」という起訴状を読み上げた。
>2年半後、「20万以上」という「判決」が朗読され、
>その翌日には、「10万以上」の責任を問う「判定」が下された。
裁判というのは有罪/無罪と有罪の場合なら量刑を決めるのに必要な範囲で事実認定をするんですな。証人尋問や証拠調べの結果、裁判官が検察側の主張と異なる事実認定をするのは別に不思議なことではない(さもなきゃ、検察側の言い分を鵜呑みにしていることになる)。法律家は歴史学者ではない、というだけのことです。
秦郁彦の『南京事件』すら読んでないことがわかりますね。
>やっと判明した:『戦争とは何か』が中央宣伝部が制作した宣伝本であった事、
これが完膚なきまでに論破されてる、ってのが井上久士論文の内容なんですよ。あなたも読んでみたら?
>今度は、我々「今を生きる日本人」が、その真実を暴く努力をする番だ。
まあ「当時報道されなかった」なんて嘘をついているようではその努力が実ることはないでしょうね、幸いにして。
秦郁彦の『南京事件』すら読んでないことがわかりますね。
そうか?Apemanは秦の意見(4,5万)を信じていた訳だ。
残念だね、秦は増補版では4,5万を否定してしまったからなぁ・・・。
Apemanの自論「虐殺被害者4,5万~・・」はこれで信頼度がグッと下がってしまったのだ。
残念!
読んでないんだろう???(笑)
内容が無いんだよ、お前のコメントには。
↑:勝手に『当時』と言い換えたApeman。
ヤツが嘘吐きだと言う証明だ。
未だ、右中野は増補版を読んで無いんだろうなぁ・・。
apeman
まだ生きてたんだwww
南京虫だね、まるで
なんでそんなに南京が好きなの?
いっそ、南京に住めば?
あんたみたいな人、この国に入らないから。