『リアルタイム』で目撃報道はしていた・・・但し、それは12月14日までの話。
しかし、それは『南京大虐殺』の報道では無かった!
それ以前は・・・12月7日蒋介石脱出、12日唐生智脱出、シナ兵軍服を脱ぐ、民間人の服が奪われる、安全地帯を通過、逃げるシナ兵秩序混乱、安全区に入り中立性を乱す、等など・・。
そして12月15日、ダーディン、スティール、両記者は南京を離れる。
スティールが15日、ダーディンが18日・・・最初の虐殺報道・・・これが問題で、彼等自身の目で目撃したものでは無かった。(これが、恐らくApemanの言う、リアルタイムの南京大虐殺報道なのであろう・・・。但し、彼はその報道の信憑性はどうでも良いらしい・・。ワシはその信憑性こそが大事!深い知識の無い人はココラ辺りでやり込められるのだ・・。)
ダーディン、スティール、両記者は「伝聞」の『南京大虐殺』を報道した!
・・・じゃ、誰から聞いたか?それは9部9厘、ベイツであります。(これは話が長いので省く)
だから『リアルタイム』で『南京大虐殺』は報道されてはいない。
その信憑性も無い!
これがワシの意見である・・・。
::::::::::::::::::::::::::::::::::
笠原十九司氏が50年後に両氏にインタビューをした時の話、
「あなたは沢山の虐殺を見たでしょう?」と質問した時に
S:『私が見たのは江岸に於ける処刑である』と答え、
D:『私が見たのは江岸に於ける処刑である』と答え、
どちらも南京城内に於ける虐殺には一言も触れなかったらしい・・・。
結局、彼等が見たのはシナ兵の処刑のみ・・・。
さて、ここで青狐やApemanの言う、
「敗残兵、捕虜の不当なる処刑は「虐殺」である!と言う意見が重要になってくる訳だ。
巷で言われる『南京大虐殺』とは無辜の民に対する暴行、掠奪、放火、強姦など・・。
Apemanや青狐は恐らくそれは問題にはしてないだろう・・・。
何故なら、彼等ほど詳しく調べた人間は、安全区では日本軍は悪事を働かなかった!と充分に認識しているからである。
結局の処、争点は「捕虜の処刑が戦時国際法違反かどうか?」になってくるのだ。
::::::::::::::::::::::::::::::::::
↑の報道は英語で発表された報道で、日本語では発表されてなかった。
だから『東京裁判』で日本人は初めてそれを知らされて仰天したという訳。
処刑された、第六師団の谷師団長も、百人切りの向井、野田両氏も
松井大将も、皆知らなかったのだ。
ただ、例外があって、上海などの英字新聞を読める日本の外交官達は、その報道を知っていたから、そこから情報は少しは伝わっていた。(こんなのはどうでも良い)
尚、Apemanや青狐がこれを読んで、重箱の隅をつつく可能性はある!
が、しかし、一番大事な事は、そんな細かい「例外」などでは無い!
話の本筋なのである。
嘘の報道があり、それらがいつの間にか、「真実」に摩り替わってしまい・・、
その嘘を日本が見破れなかった事と、その宣伝戦に見事に負けた事が一番大事な問題なのである。
忘れてはいけない・・・その宣伝戦は今も尚、続いているのである。
しかし、それは『南京大虐殺』の報道では無かった!
それ以前は・・・12月7日蒋介石脱出、12日唐生智脱出、シナ兵軍服を脱ぐ、民間人の服が奪われる、安全地帯を通過、逃げるシナ兵秩序混乱、安全区に入り中立性を乱す、等など・・。
そして12月15日、ダーディン、スティール、両記者は南京を離れる。
スティールが15日、ダーディンが18日・・・最初の虐殺報道・・・これが問題で、彼等自身の目で目撃したものでは無かった。(これが、恐らくApemanの言う、リアルタイムの南京大虐殺報道なのであろう・・・。但し、彼はその報道の信憑性はどうでも良いらしい・・。ワシはその信憑性こそが大事!深い知識の無い人はココラ辺りでやり込められるのだ・・。)
ダーディン、スティール、両記者は「伝聞」の『南京大虐殺』を報道した!
・・・じゃ、誰から聞いたか?それは9部9厘、ベイツであります。(これは話が長いので省く)
だから『リアルタイム』で『南京大虐殺』は報道されてはいない。
その信憑性も無い!
これがワシの意見である・・・。
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笠原十九司氏が50年後に両氏にインタビューをした時の話、
「あなたは沢山の虐殺を見たでしょう?」と質問した時に
S:『私が見たのは江岸に於ける処刑である』と答え、
D:『私が見たのは江岸に於ける処刑である』と答え、
どちらも南京城内に於ける虐殺には一言も触れなかったらしい・・・。
結局、彼等が見たのはシナ兵の処刑のみ・・・。
さて、ここで青狐やApemanの言う、
「敗残兵、捕虜の不当なる処刑は「虐殺」である!と言う意見が重要になってくる訳だ。
巷で言われる『南京大虐殺』とは無辜の民に対する暴行、掠奪、放火、強姦など・・。
Apemanや青狐は恐らくそれは問題にはしてないだろう・・・。
何故なら、彼等ほど詳しく調べた人間は、安全区では日本軍は悪事を働かなかった!と充分に認識しているからである。
結局の処、争点は「捕虜の処刑が戦時国際法違反かどうか?」になってくるのだ。
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↑の報道は英語で発表された報道で、日本語では発表されてなかった。
だから『東京裁判』で日本人は初めてそれを知らされて仰天したという訳。
処刑された、第六師団の谷師団長も、百人切りの向井、野田両氏も
松井大将も、皆知らなかったのだ。
ただ、例外があって、上海などの英字新聞を読める日本の外交官達は、その報道を知っていたから、そこから情報は少しは伝わっていた。(こんなのはどうでも良い)
尚、Apemanや青狐がこれを読んで、重箱の隅をつつく可能性はある!
が、しかし、一番大事な事は、そんな細かい「例外」などでは無い!
話の本筋なのである。
嘘の報道があり、それらがいつの間にか、「真実」に摩り替わってしまい・・、
その嘘を日本が見破れなかった事と、その宣伝戦に見事に負けた事が一番大事な問題なのである。
忘れてはいけない・・・その宣伝戦は今も尚、続いているのである。
一応、一旦これで打ち切ります。(よっぽどの事がないかぎり)
又、ご自由にお書き下さい・・。
>APEMANへ・・・ワシはこれで一応終了する。
また、なぜ「伝聞」の報道だと「リアルタイム」の「南京大虐殺」が報道されていないことになるのでしょうか?
ここでいう「リアルタイム」があなたの定義する「実時間」の意味であれば「伝聞」かどうか以前に、」そもそも「リアルタイム」の報道など不可能ですし、当時の事情を踏まえた「リアルタイム」の報道を指すのであれば、なぜ「伝聞」だと「報道」にならないのか理由が不明です。
仮に「伝聞」の報道に信憑性がないと主張されるのであれば、もはや論点は「リアルタイム」の報道があったか否かではなくなります。そして、これらの報道の信憑性を問題にするのであれば、どうして信憑性がないといえるのかを明らかにしないことには説得力はありません。
ワシ。の意向を無視してワシ。から皆さんへ。さんが勝手に打ち切りを宣言するのはおかしくありませんか? ワシ。はまだ私のブログにコメントしてますから、やる気満々みたいですよ? このエントリにしても、相変わらず小学生みたいな言い抜けですし。
まあ、このエントリにどれくらい賛同のコメントがつくか、見てみようじゃありませんか。ワシ。から皆さんへ。さんはこのエントリ、どうご覧になりました?
でもおじさん、せっかく仕事が一段落した所やからね~・・・。もう君とは議論する元気は無いの~~~。
それに、実時間とか言い出したらややこしくなるでしょう?
話の本質っていうかな?大事なところを汲んで頂戴ね。
ま、その後は、いろんな本が出てるから、とりあえず自分で研究して頂戴!
最低30冊は読んでね~!
>でもおじさん、せっかく仕事が一段落した所やからね~・・・。もう君とは議論する元気は無いの~~~。
なんだかワシ。さんとお知り合いであるかのような口ぶりですね。
>最低30冊は読んでね~!
ワシ。さんは30冊買ったけど読んだのは3冊…とか言っていたような気がしますから、もし私の記憶が正しければ、ワシ。さんは全然基準に達していないわけですね。
このうち、ダーディンの記事を見ても民間人殺害や暴行略奪についての記述は存在しますから、あなたが争うことが可能なのはその信憑性についてだけだと思います。
伝聞だから信憑性がないというのであれば、当時に限らず現代でも記者が実際に目撃した事件は報道されている事件の内ほんの一部でしかない以上、ほとんどの報道に信憑性がないという非常識な結論になります。
もし伝聞であること以外に信憑性を疑う根拠があるのであれば、それを提示することになしに、信憑性がないとだけ言い張っても説得力はないのです。
また「実時間」云々はそもそもあなたが言い始めたことです、問題にしたらややこしくなるような主張ならそもそもすべきではないように思いますがいかがでしょうか。
最後に、あまり申し上げても仕方がないかもしれませんが、ほとんど面識のない議論の相手を「ちゃん」づけで呼ぶのは、なれなれしいし、礼儀にも反すると思います。
信憑性が2の次ならば、それはそれで仕方がないね!
宜しく。
また、報道があったかどうかは、その報道の信憑性の前提問題であり、仮に信憑性がないとしてもだから報道はなかったということにはなりません。
結局(自分が信用できる)報道がなかったと主張すればいいのに、限定条件を付さずに報道がなかったと主張してしまったのはあなたのミスでしょう。
素直に不手際を認めてその上で信憑性の問題に移る方がよいように思いますがいかがでしょうか。