「小野田さ~~~ん!!」

2014-01-17 | 人物
貫いた誇りと「不撓不屈」 40年前の取材キャップが見た小野田寛郎さん

 小野田さんの戦いは終わった。91歳の生涯を貫いたのは「誇り」と「不撓不屈(ふとうふくつ)」だった。

 40年前のあの衝撃は、いまも鮮明に記憶している。ルバング島での初めての会見は、私たち報道陣への敬礼で始まった。質問にはひとり一人と正対し、よどみなく答えていった。手製の軍服は繕われ、ボタンもしっかりついていた。

 毅然(きぜん)とした立ち振る舞いは何なのか。謎が解けたのは、28年後。再会した小野田さんは「大切なことは“らしさ”です。“らしさ”とは自分の役割が何であるかを把握し、責任を持って遂行すること」と話した。孤独な戦いを続けながら「日本人の誇り」に通じる“らしさ”を磨き、表現したものだった。

 帰還後、小野田さんはブラジルへ渡り、成田空港よりも広い牧場経営に成功した。なぜ、そこまで戦い続けるのか。

 「自然が好きなんですよ。その気になればどこでも食っていけますから」

 あの牧場は、小野田さんの意地の証ではないか。「自分は戦争屋じゃない」との思いもあっただろう。

 あの日と同じように、背筋を伸ばし、謙虚でつつましく歩み続けてきた小野田さん。風化しない生粋の人間を、また一人、失ってしまった。

(当時の取材キャップ・産経新聞元常務 山下幸秀)
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30年程前に、ワシも実際にお目にかかったが、カッコの良い元日本兵だった・・・。

たった一人の30年戦争

今でも忘れんなぁ・・、あの鋭い目をした元日本兵。

日本を愛した小野田さんが、帰国して日本を捨てた。

戦後日本は変わっていた。

そこには小野田さんが愛した日本はもう無かったのだ。

哀しい事だよ。

小野田さんこそは日本人の誇りだ。

心よりご冥福を祈ります。

合掌。


あれから19年か・・・。

2014-01-16 | 昔の話
阪神淡路大震災から明日で19年。

忘れちゃいかんなぁ・・・。

あの日の事は今でも鮮明に覚えてる。

「この家、潰れる・・・。」そう思ったな。

六甲辺りだったかな???友人の家に3月に行った時でもまだまだ凄い傷跡が残ってた。

傾いた家々を目の当たりにし、『お~~!!うわ~~~~!!』と驚愕の声を上げたのが昨日の様だ。

沢山の人が犠牲になった。

忘れちゃいかんよなぁ・・・・。

泉谷しげるはアホだ。

2014-01-14 | 音楽・映画・TV・演劇・舞台
泉谷しげる 紅白早退 自宅のすき焼きパーティーに「間に合った」

>こういうのが居るから世の中おかしくなる。
被災者のためにとか美談ならマナーをぶち壊してもいいみたいなのは逆に被災者に失礼。

↑:この人の言うとおりだよ。

大人としての最低限のマナーがなってないわな。
最初っからそういう契約をしてたのなら別だけど・・・。

矢沢永吉なんかとはその辺が違うよ。

くじで生死が決定した藩士の気持ちはどんなだろうか?

2014-01-12 | 昔の話
「くじ引き」で土佐藩士20人の処刑決めた新政府 フランス兵殺傷の大きな代償

慶応4(1868)年2月15日、泉州・堺港に上陸したフランス軍の水兵22人を警備中の土佐藩士が殺傷した事件は重大な外交問題に発展する。フランス側が巨額な賠償金と発砲にかかわった藩士の処刑を要求してきたのだ。国力の差から要求をしぶしぶ受け入れるしかない新政府と土佐藩は被疑者の中から20人の処刑を決める。その選び方というのが過去の歴史的な重要案件でもたびたび登場したくじ引きだった。

 ●被疑者は29人

 事件の翌日、任務を解かれた土佐藩の6番、8番両隊の73人は、18日に長堀の藩邸(大阪市西区)で藩の警察機関「下横目(したよこめ)」による聴取を受けた。

 ちなみに当時の堺は外国人遊歩地域として認められていたため無断上陸ということはあり得ず、フランス側の記録には、事件での水兵による土佐藩士への発砲の記録もないという。

 このため、在日フランス公使のレオン・ロッシュが今回の事件で、土佐藩に遺族への賠償金として15万ドル(7、8億円相当)の支払いや、発砲にかかわった全員の処刑などを求めてきたのだ。

 家老の深尾鼎(かなえ)が見守る中で別室に1人ずつ呼び出しては事件のときの射撃の有無を確認したところ、「発砲した」と供述したのが29人にのぼった。

 関係者以外は席を立って随時、土佐に帰国していったのに対して大坂にとどまった29人は22日、藩主らの申しつけとして次のことを言い渡された。

 朝廷から20人の下手人を差し出すように申しつけられたが、誰を下手人にしてよいものかわからず、皆で藩邸の稲荷神社に参り、くじで決めるほかない-と。

 ●生死はくじ次第

 29人全員が死罪になるはずだったが、そうなると世論が攘夷(じょうい)に傾き、騒動が起こることを懸念した新政府がフランス側と交渉し、隊長以下20人ということになったのだという。

 それで、すでに死罪が決まっている6番隊・箕浦猪之吉、8番隊・西村左平次の隊長2人と小頭2人の計4人以外の16人の生死を稲荷神社でのくじ引きで決めることになった。

 現在の大阪市立中央図書館の北西隣に建つ土佐稲荷神社は18世紀初頭、伏見稲荷から神を勧請して藩の蔵屋敷に祭ったのを始まりとする、まさに藩の守護神といえる存在だった。

 そんな社殿前に集まった25人は、下横目の呼び出しに1人ずつ出て行き、大目付の小南五郎右衛門が持つくじを開いては、下横目に渡すといった行為を繰り返していった。

 くじを見た24人は一様に平然としていたのか、あるいは死罪と決まり涙を流したり、助かって安心とも残念とも受け取れる複雑な表情をみせたりしていたのだろうか。

 神社は一般にも開放していたため、参道を藩士らが取り囲む中で進んだ、この厳かでピーンと張り詰めたやりとりに出くわした参拝者の中には奇異に映った人もいたことだろう。

 そして箕浦ら20人は翌23日、事件現場近くの日蓮宗寺院、妙國寺で切腹することに決まった。

 ●畳、木綿、そして毛氈(もうせん)

 23日は晴天だった。20人は藩から出された酒をいただいた後、用意された駕籠(かご)に乗り込む。周囲は熊本、広島両藩の兵に護衛されながら堺へ向かった。

 沿道には、話を聞いて駆けつけた関係者や市民らがいた。大和川を越えて堺に入ると、これまでとは比べようもないほどに多くの人が集まり、手を合わせてすすり泣く人もいた。

 長堀の土佐藩邸から約8キロの道のりを経て駕籠は妙國寺の山門前に着く。現在の山門は寺の北側に建っているが、当時は寺の南側にあり、門の脇、土塀に沿って20人分の白木の棺おけが一列に並んでいた。

 駕籠はそのまま境内へ入り本堂まで行くとようやくとまり、20人は降りた。本堂前の広場が切腹の場所らしい。

 しばし時間があるということで20人は境内を散策することになり、「死に場所も見ておこう」と中に入ると、山内家の家紋が入った幕に囲まれた空間の中、四隅に立てた竹ざおと茅葺(かやぶ)きの屋根でできた簡素な建造物が目にとまった。

 地面には粗いムシロが敷かれ、上質の白木綿で覆った2枚の畳、さらにその上に毛氈が重ねられ、傍らには人数分の毛氈が積んであった。

 微妙な心境に誘われた20人だったが、そうしているうちに処刑は午(うま)の刻、つまり正午からと告げられる。最期の時がいよいよ迫った。(園田和洋)

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堺事件

死刑執行[編集]

2月23日(3月16日)、大阪裁判所の宣告により堺の妙国寺で土佐藩士20人の刑の執行が行われた。切腹の場で藩士達は自らの腸を掴み出し、居並ぶフランス水兵を大喝した[6]。その凄惨さに、立ち会っていたフランス軍艦長アベル・デュプティ=トゥアール(Abel Bergasse Dupetit-Thouars)は、(フランス人の被害者数と同じ)11人が切腹したところで外国局判事五代友厚(才助)に中止を要請し、結果として9人が助命された。一説に、暮色四辺にたちこめ、ついに日暮れるに至り、軍艦長は帰途における襲撃を恐れたからであるという。本人の日誌によれば、侍への同情も感じながら、この形での処刑はフランス側が望むように戒めになるどころか逆に侍が英雄視されると理解し中断させたそうである。

勇気ある少年。

2014-01-10 | 外国
14歳少年、自爆犯を学校前で食い止め死亡 パキスタン

14歳にしてこの勇気!

素晴らしい男だ!!

が、しかし、他人を巻き込む自爆テロは許せない!


一人で焼身自殺をするチベット僧ほど次元が高くないんだな。


イスラムでは自爆テロをしたら、来世で数人の美女を侍らせる事が出来ると信じて
喜んで死んでいく信徒が居るとか・・・。

誰だよ・そんないい加減な事を教え込んだのは????


勇気ある エティザズ・ハッサン・バンガシュ君のご冥福を心より祈る。

本田って男は大した紋だなぁ~・・と思った。

2014-01-09 | スポーツ

会見終了後、記者の質問に「(移籍は)必然だった」

本田君は大したもんだ。
彼の小学校の卒業文集での『将来の夢』・・っていう題での作文には
セリエAに行って世界一の選手になる!って書いてあるんだからね。
背番号10番を着ける!って、そこまで断言して、実際にそうなったんだから凄いわ。

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――サムライ精神とは何か?



「サムライに会ったことがないので何とも言えません。ただ、日本の男性はあきらめない。強い精神を持っていて、規律を大事にしている。こういうスピリットをピッチでも示したい。そういうのがサムライ魂なのではないでしょうか」


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ワシもサムライに会った事が無い(笑)

でも、こいつはいい事言うじゃんか!!?

ガンバってや!

分祀出来ないんだよ!する必要も無いし。

2014-01-04 | 靖国神社
民主・前原氏、靖国参拝で「A級戦犯は分祀すべき」

小沢一郎も前原と同じ様な事を言ってたが、
A級戦犯は分祀は出来ない!!する必要も無い!
単に法務死しただけの事。

それにしてもおかいい・・・
・・・解せんのが、
戦争に対する罪が一番重いはずである『大元帥』の息子(今上陛下)に
どうしても会って握手がしたいと言って駄々をこねた“習近平”の事を、
シナ人民、或いは朝鮮人は誰も非難しない!!!

あいつらの頭は日本人政治家よりも可笑しいわい。

この人、もともとこんなモンです。

2014-01-02 | 人物
泉谷 今度は観客にキレた「手拍子はやめろ!」紅白は「二度と出るもんか!」

こんな事言ってますが、「長いものには巻かれろ」の人です。
強きを助け、弱きを挫く・・・そんな人ですから・・。

語り口調のフォークソングを歌ってた人です。
許してやって下さい。

所詮・・所詮はこんなモンなんですから。

計算高さは人並み以上!!!(笑)