名古屋にいた頃手乗りの桜文鳥がいた まだ小学生だった息子の友達だったそのこも一緒ににここに引っ越してきて何年も家族の心の架け橋だったお別れの時がきて庭の片隅に葬ったそれからその場所にこの花が咲きます子供たちはピーちゃんの花だといいますが・・・
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