okinatchiの四次元徘徊記

 毎日の出来事を書き綴ります。

9月26日

2013-09-26 21:16:32 | 日記
  9月26日
  曇り、雨、曇り。 朝6時の屋外の気温は23℃であった。今日は団地のシニア会のグランドゴルフ同好会の練習日だというのでTo子さんは早朝から準備をしていた。ところが、雨が降り出したのでグランドゴルフに練習が中止になったので、ブツクサ文句を言っていた。

 新聞に3年前の尖閣諸島沖で海上保安庁の巡視船に体当たりした中国船の船長を超法規的に釈放した件で、当時の菅首相と仙谷官房長官とが、責任を地方検察当局に押し付けたことが明らかになったことについて新聞社の編集委員が書いた論評を読んで、国賊菅、国賊仙谷との思いを一層深くした。 
 
 午後1時ころに外出してJRの有楽町駅と大井町駅とにおける駅構内のエレベーターの設置状態の様子を調べに行った。明日、車椅子に乗った友人を銀座5丁目の商店まで連れて行くことになっているからである。各駅の構内の様子を詳細に見聞して午後4時前に家に戻ってきたが、調べに行って良かったというのが感想である。特に、東急線の大井町駅は道路から階段で上がるようになっていて車椅子では昇降できないと判り困ったな~、と思ったが、駅員にそのことを尋ねたら、道路面までの数十cmの高さの差に対応しているエレベータがあることを教えてくれたのでホッとした。  

 バスを乗り継いで家に戻ってきたころには空模様が怪しげな様子になっており冷たい風を心地よく感じた。夕方のTVニュースで正露丸糖衣についての抗告審の判決に関連して、せいろがん と称する商品は50種類も売られていること、この薬は日露戦争のときに日本軍が出征兵士にもたせたものであること、などが報じられていたのを聞いていたら、スタジオ内の大部分の人が、大東亜戦争の敗戦前には、 せいろがん が 征露丸 であったことを知らなかったが、考えてみれば当然のことなのだ。なにしろ、日露戦争は一世紀以上も昔の出来事なのだから。

  せいろがん 名前の由来 知っている 人の少なさ 当然のこと  徘(徊)人 okinatchi