okinatchiの四次元徘徊記

 毎日の出来事を書き綴ります。

9月27日

2013-09-27 21:53:18 | 日記
  9月27日
  晴れ。 朝6時の屋外の気温は21℃であった。午前5時35分頃に大きな丸く赤っぽい太陽が東の地平から昇り始めている姿が見えた。昨日までの台風の影響による雨模様とは打って変わっての好天気に大いに喜んだ。

 午前8時に友人宅につく。午前9時半過ぎに外出するとのことだったので、それまで洗濯作業をすることにしたが、最近の雨模様続きのために、洗濯物が大量に溜まっていたので、洗濯作業の終わりが午前10時過ぎになってしまった。

 午前10時半近くに車椅子に乗った友人とKo・Miさんと一緒に外出し、電車を乗り継いで銀座5丁目のSe屋に行った。最初に乗った私鉄電車の職員の応対は極めて親切丁寧であったのに、乗り継いだJR線の職員の応対は極めて不親切であったので驚くとともに、ふと、大東亜戦争当時における鉄道員の応対の様子を思い出してしまった。

 現在のJRは民間会社であるが、明治以来の鉄道省直営の鉄道時代や大東亜戦争後の国有鉄道時代の鉄道員はお役人であって、サービスのサの字もなかったのであり、特に大東亜戦争中や敗戦直後の時期における鉄道員の態度は横柄で鼻持ちならぬものだったのである。

 民間会社になったJRの駅員の接客態度に昔のお役人時代の駅員を思い出させるようでは困るよな~、と思ったが、83の翁はグッと我慢してにこやかにその場を後にし、友人やKo・Miさんに鬱憤をぶちまけたのだった。

 Se屋での買い物を終えてからSe屋の地下の店でドイツビールを飲みながらスパゲッテーを食べた。帰りはバスで帰ろうということになり、東京駅の南口近くのバス停まで歩いて行き、そこでバスに乗った。バスには多くの老人が乗り込んできたので座席に腰掛けていた私は年老いているらしい老婆に座席を譲って立つことにした。

 道路が混んでいてバスの進行はのろく、約1時間20分くらいも掛かって友人宅に戻ってきた。洗濯場に干してあった沢山の洗濯物が綺麗に乾いていたので それを取りこんだりしている内に午後4時を過ぎてしまった。そうこうしている内にマッサージ師のOさんが訪ねてきたので私は帰途についた。

 帰りのバスの中で半ば眠りながら携帯ラジオで大相撲の中継放送を聞いていたら、解説者が優勝争いに上がっている数名の力士の取り組みのことを述べていた。怪我をしていても相撲を獲らなければならないお相撲さんも大変だな~、と思いつつ、注目されている取り組みの実況放送で結果を確かめていた。

 夜のTVニュース番組で正規労働者と非正規労働者との賃金格差の実態を報じていたが、賃金格差が300万円もあることを知り愕然とした。また、ニュースでも新聞でも東電の柏崎刈羽原発6号機7号機の再稼動に向けた安全審査の申請を、条件付けで認めるということを泉田新潟県知事が発表したことについての憶測も報じていたが、原発の地元の複数の首長の経済的問題に基づく意向を無視できなかったからだろうと思った。 

  原発は 怖いけれども 金欲しい  徘(徊)人 okinatchi