今年もあと少しとなったが、今月の20日に魚吹八幡神社で壮青年会が行った大掃除での興浜興伸会の皆さんの写真と苦瓜本道について書いて今年の最後の記事とする。
当日は小雨の降る中での作業となった。
興浜は楼門の掃除を担当している。
毎年していると慣れて来て、梯子を掛けて楼門の上に登りハトの糞と格闘する。ハトの糞が多いのでマスクを着用しての作業だ。
楼門下まわりも雑巾掛けを行うが、こちらは来年から短い梯子を持参した方がよさそうだ。
楼門のしめ縄張りを終えて、拝殿のしめ縄としめ柱のしめ縄を張ったが、ここでしめ縄の向きが違うという事になり、去年通りにしておいたのだが、細い部分が左側にくるようだ。御幣も付け直して一件落着。
楼門の清掃のあと、楼門のしめ縄張りと拝殿のしめ縄張りの様子。
しめ柱のしめ縄は千灯祭、秋祭り、正月と3回付け替えていうようだ。
御幣も雨に強い和紙を使用している。
慶長始め頃興ノ浜住人苦瓜助五郎(にがうりすけごろう)なるもの(苦瓜は本道の後なり)社(やしろ)を舊地(きゅうち)に再興せんと欲して未だ果さざりしに寛永9年壬申正月16日領主京極刑部少輔當時の社地を寄附して本社再興のことを・・・とある。『揖保郡誌』
又、『網干町史』にも同じような事が書かれている。116歳まで生きられたとの事である。
丁度現在、渡邊鼎氏の偉人傳を掲載中であるが、渡邊家古文書の中に「苦瓜氏略譜」というのがある。鼎氏の聴き取り中にちょうどこの古文書があり写真を撮らせてもらっていた。鼎氏独特の文字でわからない文字のオンパレードだ。その中に苦瓜本道は116歳という記述がある。鼎さんがどのような資料をもとにこれを書かれたのかは謎であるが、本当に苦瓜さんは116歳の長寿を全うされたのだろうか。
2枚ある「苦瓜氏略譜」