サーモンピンクのガーベラ

徒然に、気まぐれに、日々の出来事をちょろちょろっと書いてみます。
主に食いしん坊日記🍴

教訓2

2016年02月15日 21時04分19秒 | Weblog
上杉鷹山が米沢藩の藩主になるときに春日明神に送り献げた誓文。




一、文武の修練は定めに従い怠りなく励むこと

二、民の父母となるを第一のつとめとすること

三、次の言葉を日夜忘れぬこと
贅沢なければ危険なし
施して浪費するなかれ

四、言行の不一致、賞罰の不正、不実と無礼、を犯さぬようつとめること

これを今後堅く守ることを約束する。もし怠るときには、ただちに神罰を下し、家運を永代にわたり焼失されんことを。




真剣さがひしひしと伝わってくる。
国を治める、民の為となって主の務めを果たす使命を帯びたものにしか分からないだろう並々ならぬ決意が感じられる。

私は適当だし、自分にとても甘いので、このような誓いをたてたらあっというまに神罰が下されてしまうのが目に見えているが、

だからこそ、人の上に立つものというのは偉くもなんともなく、これほどの気迫をもってして、自らの家運をかけてまでやりとげなくてはならない使命を与えられているのだと、気を引き締めていかなくては、と思う。

すぐに楽な方楽な方に流されがちな自分に喝を入れる為の教訓。

教訓1

2016年02月15日 16時56分54秒 | Weblog
迷い悩むことが多いので、必然的に自己啓発であるとか、教訓的なものに食指が動きやすい。


最近心を動かされたもの。

千葉県の自然酒の酒蔵「寺田本家」の家訓



特に響いたのは

「人は与えたものが与えられる
喜びも自由もお金も親切も空っぽになるまで与え続けよ」

「人は愛と調和と光を発している
お互いに助けあい、支えあい、共に生き、自ら灯りをともせ」

「人は迷惑をかけながら間違いながら生きている
どんな事でも堪忍せよ」

である。

どうしても自分の為になんでも溜め込もうとしてしまうけれど、空っぽになるまで惜しみなく与え続けたらそれがいずれは還ってくるという。
与えること、最近していたかなぁと省みる。
与えているつもりで、自分の立場や自分にとってよくなるようにと打算的に与えていることのほうが多い気がして。


自分自身も回りも、自分が光を発することで明るく見通せるのだろうなと。
誰かの光を頼りにしない、自分自身が光っていればいいんだよね。
そして、かすかな光かもしれないけれど、すでに、多分光を発しているはずなんだけど、どうしても回りの強い光に目がいきがち。
自分から発しているものにまず気が付こうと思う。


迷惑をかけ、間違いながら生きているってこと、ほんとうにその通りだと思う。
年齢を重ねてもそれはずっとそうで、完璧な存在なんてない。
仕事していると、年齢を重ねた方ほど、色々なことに気づいていて、気付かない人々に苛立っているけれど、
それは当たり前のことなんだよね。
経験が浅いんだから、それだけ気付かない、間違えることがベテランより多い。
だからこそ、教育が必要で、文句を言うことではないんだよね。
教えられるほうも常に謙虚でいなくてはならない。未熟なんだから。

自分も含め、お互いにその事に気づけていて、できる人が教え、教えられた人がそれを受け継いでいく姿勢が大切だと感じる。

うちの会社も朝礼でこういう家訓みたいなの唱和したほうがよっぽどみんな気が引き締まるんじゃないかしらとか思う。

常に自分を省みる。おごらずに、素直で、謙虚でいたいなぁ。段々打算的になってきちゃってるから余計に。反省を込めて。