数年前、
植えた覚えのない木が、庭に生えてきた。
何年か放置していたら、花が咲いた。
たぶん、空からの鳥の落とし物。
別にカワイイとも思わなかったんだけど、
部屋に飾っていたツツジが枯れたので、
その代わりに一枝切って挿してみた。
うん、
なかなか似合うじゃないの。
WELCOME~!
と、悦に入っていたら、
子どもが「花びら何枚?」と言うので、
数えてみたら、6枚~10枚くらいで、
全部バラバラ。
そんなことってある?
花をアップで見てみたら、
ほんのり桜色で、
なかなか、かわいらしい。
このかわいらしさ、
気付かなかったなぁ。
外にあった時は放置してて、
「大きくなる前に抜こう」くらい思ってたのに、
部屋に連れて入って、少し注目しただけで、
愛おしくなってきた。
もしかして、他の多くのものも人も、
そうなのかもしれないな。
見ているから大切になってくる。
自分の夫や子どもだって、
優秀だから大事なわけじゃないし、
自分が応援しているチームだって、
強いから応援しているわけじゃない。
自分にとって大切かどうかは、
もちろん能力の高さなんかには関わりなく、
むしろ不器用さ、不完全さが、
愛おしさにつながったりする。
客観的な花の形は、
見ても見なくても変わらないのに、
見れば見るほど
愛おしく、大切に思えてくる。
そっか。芸術も、
作品と見る人とのコラボだよね。
本だって、読む人の中でどう響くかは、
半分は自分の責任だもの。
見る力かぁ。
「ゲーテの認識論」で
何人か一緒に植物観察にトライしているんだけど、
見る力のある人の観察を聞いていると、
もう、ビックリします。
そういう人って、
私が2くらいしか見てないところで
100くらい見えているんだよね~。
昔から
誰が誰を好きとか嫌いとか、
全然気づかないタイプだったから、
遠い道のりかもなぁ~。
まぁ、100の人から見たら誤差だけど、
3くらい見えることを目指そう。
自分比1.5割増しだし(^^)。
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