『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

正しいことには要注意

2021年05月15日 | 『自由の哲学』
カントさんは真面目な人だったから
「自分のためじゃなくて、
みんなが喜ぶようなことをやろう!」
って言いました。

それにシュタイナーは反対したんです。
「いや、みんなが喜ぶようなことじゃなくて、
自分がやりたいことをやろう」って。
一見、すんごいエゴイストの言葉みたいなんだけど

みんなが喜ぶようなことは、一見正しい。
たとえば、隣人に親切にしましょうとか、
親孝行しましょう、とか。

尊敬する王様や社長が
「みんなで幸せになるためにはコレが必要だ」
って決めたことに沿って、自分の力を発揮する。
普段私たちは、大体こういう感じでやっている。

低価格で安定して牛乳を生産するために、
牧場では1頭当たりAの面積を確保して、
Bのペースで牛に抗生物質を飲ませて、
Cの方法で殺菌してから出荷しましょう。
って、決まっていることをちゃんと守る。
「義務」だね。

その中に「オレ、人から命令されたくない」と
言うことをきかない国民や社員もいる。
その人が、単純にワガママなんじゃなくて、
自分のポリシーとか良心を大切にしたい場合もある。
兵役拒否、とか。

自由な意志を持った1人の人間として生きるには、
外からの義務に従うんじゃなくて、
自分で考えて、やりたいことを自由にやること。
ただし、エゴのレベルを越えて道徳的に高いレベルで。
自分なりの理想に自分が尽くす、と言う方向で。

抗生物質を与えるのは、牛の病気を防ぐため。
それは理解しているけど、
牛乳にそれが残っちゃうことがわかってるから、
オレはもっと丁寧に一頭一頭の牛を見て、
病気の予兆に気付きたい。
手間暇かかる分、値段が上がったとしても、

とかね。

「そりゃ、普通に考えたら、
安定的に低価格で牛乳が生産できる方がいいけど、
オレ、牛の幸せも、飲む人の安全とかも守りたいねん」
っていうようなこと、あるでしょう?

身の回りのことで言うと、
「思春期にイイ大人に出会うといいだろうな」、
と思っていた企画を、人と一緒に形にすること。
「この本、この時代に本気で必要だわ!」
と思った本の読書会をやってみること。

誰かの言う正しさに寄りかかるんじゃなくて、
それぞれが「こういう世界がいいな」と描く理想に向かって、
自由に行動する時間が5分でも10分でも増えたら、
その分、世が、いろんな色の理想に近づいていくだろうな。

正しい事には、反論しにくいけど、
いくら正しくても、
人から決められて強制されるのって、
それだけで抵抗ある。

誰かの言う正しさは、
正しいだけにやっかいだもの。

鎖国も、開国も、贅沢は敵だ、も、
「ただちに影響はありません」も、
「一斉休校にします」も、
その時代では正しいことだったもの。

さすがに「政府が言うんだから正しい」
と盲信する人は減ってきたかもしれないけど、
逆に、反射的に、
「政府は信用できない」っていう時も
同じ思考停止状態の可能性がある。

「じゃあ、自分だったら何が出来るの?」
って問いたい。
そして、安全な場所から大きなものを批判する前に、
自分ならこうする、と考えたことを
目の前で地道に実行できたらいいなーと思う。

もひとつ言うと、
「1人ひとりが考えて、
自分の理想に向かって自由に行動しよう」。
っていう言葉。

この言葉だって一見、正しいけど、
正しいことを押し付けられるのって、
めっちゃうっとおしいよね(^^)。
正しいから、そうしなきゃいけない、
となると、これまた、不自由。
正しさの奴隷になっちゃう。

良心に従うことは、結構正しそうだけど、
その良心が、どこから来てるのかも問題。
外(社会や神様や精神界)から来たものなら、
人は単なる社会や神様や精神界やSomethingGreatの意志に沿った
実行マシーンであり、彼らの手足にすぎなくなる。

自由に考えて動けるんだったら、
「こんなに疲れているんだから、
今日は理想なんかより私の休憩が大事」
って、布団かぶって寝ちゃうことだって、大いにアリだ。

これがナシだと思っちゃうと、
病むまで働かなきゃいけなくなる。
ギリギリで病まない状態が一番褒められるけどね。

「正しい」も何も、
人の行動を、周りが評価すること自体が、
前世紀的なのかもしれないね。
会社は給料決めないといけないから難しいけど。

誰かの出す問題に正解するかどうか、じゃなくて、
自分で問題を設定して、それに答えていく方向が、
今を生きる1人ひとりが自由になっていくための課題。
人に絡んでる限り、自由にはなれない。

人のことは人が考えるし、理想の実現は遠すぎる。
ならば今、私の考えるべきことは、
「今の自分の延長線上で、自分の望む世界に近づけているか」
ということだな。

ややこしいことじゃなくていい。
最後までモノをていねいに使う、とか、
自分の気持ちを言葉にしてみる、とか、
人とちゃんとつきあう、とか、
そんなことからで、十分!

そんなことが、十分難しいんだから。


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