「意志の意思」って何? と問われて、
「意志」と「意思」…はて?
そういえばニュアンス違うなぁ、と気づき。
その言葉を使う時に浮かぶイメージの違いは…
「意志」の方は、やりたい思い+身体の熱、
「意思」の方は、やりたい思い+頭の冷静。
「意志」の方は、やりたい思い+身体の熱、
「意思」の方は、やりたい思い+頭の冷静。
「意志」は「身体が動くこと」が大事、
「意思」は「考えてる内容」が大事。
「知・情・意」で言えば、
「意志」は情と意、「意思」は知と情の担当かな。
で、私の「意志の意思」は、
能天気ですよ。身の程知らずですよ。
ビックリしますよ。アホやと思いますよ。
「世界平和」と、それに向けての「人の自由」です。
うわ、恥ずかしっ!!
同じ色に染まった均質な世界じゃなくて、
いろんな色が共存したまま美しく調和した世界。
絵の具などの粒子の3原色は、重ねたら黒くなるけど、
光の3原色は、重ねたら真っ白になる、そんなイメージ。
ひらたく言えば、
「周りの人と一緒に幸せになりたい」です。
それに向けて、自由にこの身体を使いたい。
怖がりなのに、自己主張が苦手なのに、
人前でしゃべるの苦手なのに、
リーダーシップもないのに、アタマ悪いのに、
ナマケモノなのに、友達少ないのに…
って、かわいそうやから、そろそろ止めますが(^^;)。
それでも、その思いが種火のように、
私の中から私を動かそうとするから、
仕方ない。
総理大臣にはなれないけど、
たとえば、ゴミひとつ拾えば、ひとつ分、
人の話をひとつ暖かく受け止めたら、ひとつ分、
世は美しく、平らかになるから、
それをしよう、って思うことにした。
時々、身の程知らずにアレコレした時に、
一緒に参加してくれる人のおかげで
とっても幸せな時間を与えられて、
「今、周りと一緒に幸せになってる」って思える時もある。
でも逆に、汚したり、乱したり、無関心だったり、
ひどいことも数えきれないほどしているから、
プラスマイナスで言うと、マイナスの方が多いかも。
それでも。
それだからこそ、なおさら。
出来ないことを嘆くより、
目の前で、身の丈で、出来る範囲で、
返していきたい。
そういう自分の意思に沿って、
自分を使える意志の強さが欲しい。
余談ですが、ここまで書いて思ったのは、
大きな話はつかみどころがないけど、
同じ事を自分の身体でできるサイズに縮めたら、
出来る事がひとつやふたつは出て来るから不思議だなぁ、って。
ん? 出来ることが出て来る…。
さらに余談ですが。調べてみたら、
「出来る」と「出て来る」は同じ語源のようです。
1「出て来る」は形になって現れること。
例:「新芽が出て来る」「オバケが出て来る」。
2そこから「可能」の意味が加わって「出来る」になった。
例:「計算が出来る」「片づけが出来る人」。
でも、「大根が出来る」「カサブタが出来る」って言う時は、
「出て来る」じゃないけど1番目の意味だな。
さすが、同じ語源。
言葉なんだから、キッパリ分けられるわけないか。
そりゃそだね。
一つだけなら意識することはありませんが、
それが二つとなると・・・
ZIP様は、意志または意思、どちらかだけの時は意識することはなくて、両方なら意識できる、ということをおっしゃっています??
一つしかないのに沢山ある
意識が働くのはその様な時でしょう。
意識が働くことで意思や意志も可能になるわけです。
外部からの刺激によって状態が変化することで意思や意志が発生するわけです。