窓辺の植物を見て楽しんでいます。
とは言え、思い込みで見てしまうから、
全然植物自体に添って見てないな~と、
いつも後からガッカリするんですけど。
今日はヘチマ。
一昨日、台風が来る前に、と
緑のカーテンの中から
もう実らなくなってきたゴーヤやキュウリ、
いくらでも出て来る朝顔を取り除きました。
ヘチマはまさに今実り始めたところだったので、
「このくらいなら風の抵抗もあるまい」と、
残しておきました。
台風一過。
急に涼しくなった窓辺で、
ヘチマがぐんぐん大きくなっていきます。
こんなのが窓辺に3つほど。
ぶら~ん(^^)。
のほほ~んとしたたたずまい。
たぶん誰も傷つけない、丸~いフォルム。
警戒心のない印象に癒されます。
「懸垂? 逆上がり?
へ~、やりたいんだったら応援するよ~」
みたいな(^^)。
たとえば、途中で伸びすぎた枝を切ったら、
ヘチマ水を出してくれる。
ヘチマ水で盛り上がっている女子がいたから、
きっと「お肌にめっちゃいい」んだろう。
また、大きく実った後は、天然のスポンジとして、
カラダや食器を洗うのに役立ってくれる。
しかも、自分を犠牲にするんじゃなくて、
ちゃんと種は種として収穫して次世代に生かしつつ。
自分が誰かに役立つことで、
その誰かがまた肥沃な場所に蒔いてくれるという、
因果関係のわかりやすい生き方、生かされ方。
人はそんなわけにはいかないね。
って、すぐ、そんなこと思っちゃうから、
ちゃんと対象に沿った観察が出来ないのよ。
相手をまっすぐ見る、という課題は、
本当に私には難しい。
綿と違って、こっちのガクは、
実を包まずに花を包んでる。
内から外に出て行こうとする力は、
ほんの少しの筋や点に現れるにとどまる。
きゅうりのイボイボの痛さや、
主張のあるゴーヤの全身で体現したでこぼことは違う。
雌花ひとつに対して、
雄花は、こんなにたくさんスタンバイして、
時間差でいくつも咲いていく。
そのうち、どこかで雌花が咲いて、
その時に咲いておけば受粉出来る、という、
数打ちゃ当たるだろ、作戦。
とっくに雌花が実のフェーズに入っているのに
まだ華やかに咲き続けている雄花は、
キレイなだけに、もの悲しさもある。
もう大丈夫やで~~、って。
一方、雌花は唯一無二。
後がないから大変だけど、
「私はこれでいきます」という覚悟が
ちゃんと実りに結びついているのは、
幸せな一生だな。
昨日アップし忘れてた「綿」の観察。
公開しましたので、良ろしければこちらもどうぞ(↓)
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