『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

ヘチマが体現していること

2022年09月23日 | 神戸シュタイナーハウス
窓辺の植物を見て楽しんでいます。
とは言え、思い込みで見てしまうから、
全然植物自体に添って見てないな~と、
いつも後からガッカリするんですけど。

今日はヘチマ。
一昨日、台風が来る前に、と
緑のカーテンの中から
もう実らなくなってきたゴーヤやキュウリ、
いくらでも出て来る朝顔を取り除きました。

ヘチマはまさに今実り始めたところだったので、
「このくらいなら風の抵抗もあるまい」と、
残しておきました。

台風一過。
急に涼しくなった窓辺で、
ヘチマがぐんぐん大きくなっていきます。


こんなのが窓辺に3つほど。
ぶら~ん(^^)。

のほほ~んとしたたたずまい。
たぶん誰も傷つけない、丸~いフォルム。
警戒心のない印象に癒されます。

「懸垂? 逆上がり?
へ~、やりたいんだったら応援するよ~」
みたいな(^^)。

たとえば、途中で伸びすぎた枝を切ったら、
ヘチマ水を出してくれる。
ヘチマ水で盛り上がっている女子がいたから、
きっと「お肌にめっちゃいい」んだろう。

また、大きく実った後は、天然のスポンジとして、
カラダや食器を洗うのに役立ってくれる。
しかも、自分を犠牲にするんじゃなくて、
ちゃんと種は種として収穫して次世代に生かしつつ。

自分が誰かに役立つことで、
その誰かがまた肥沃な場所に蒔いてくれるという、
因果関係のわかりやすい生き方、生かされ方。
人はそんなわけにはいかないね。

って、すぐ、そんなこと思っちゃうから、
ちゃんと対象に沿った観察が出来ないのよ。
相手をまっすぐ見る、という課題は、
本当に私には難しい。

綿と違って、こっちのガクは、
実を包まずに花を包んでる。

内から外に出て行こうとする力は、
ほんの少しの筋や点に現れるにとどまる。
きゅうりのイボイボの痛さや、
主張のあるゴーヤの全身で体現したでこぼことは違う。
雌花ひとつに対して、
雄花は、こんなにたくさんスタンバイして、
時間差でいくつも咲いていく。
そのうち、どこかで雌花が咲いて、
その時に咲いておけば受粉出来る、という、
数打ちゃ当たるだろ、作戦。

とっくに雌花が実のフェーズに入っているのに
まだ華やかに咲き続けている雄花は、
キレイなだけに、もの悲しさもある。

もう大丈夫やで~~、って。

一方、雌花は唯一無二。
後がないから大変だけど、
「私はこれでいきます」という覚悟が
ちゃんと実りに結びついているのは、
幸せな一生だな。

昨日アップし忘れてた「綿」の観察。
公開しましたので、良ろしければこちらもどうぞ(↓)



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