「自分らしさ」なんて、
安っぽい自己啓発本みたいなタイトルをつけてしまいましたが、
一体、自分らしさって何でしょうね。
私の場合なら、
打たれ弱いので、それなりに鎧を着つつ、
炭鉱のカナリア的にその感性も大切にする。
その鎧は着脱可能で、脱げる時には脱いでおく。
理解力が乏しいので、地味に勉強もしつつ、
教科書の借り物の言葉は使わずに、
カラダが知っている事と重ねて理解し、
学んだ事を、自分の言葉にして、
頭からカラダに降ろして実際に使っていく。
世界の平和を願うので、
周りとの違いを大切にして、身の丈で平和に生きる。
自由になりたいので、自分も人も否定しない。
ただし、疑問は大切に暖めていく。
みたいなこと。
具体的には、
自分がいいと思うものを人に差し出して、
受け取ってもらう。
そして、周りと一緒に幸せになっていく。
あれ、全然具体的じゃないな(^^;)。
人に受け取ってもらうものは、
スポーツ選手なら競技する姿だし、
芸術家なら作品だし、
農家の人なら野菜やお米だし、
実業家なら、仕事やお金だし、
プログラマーなら、使いやすいシステムだし、
家の仕事なら、料理やふれあいだし、
人それぞれ形は違う。
今は、作品や成果物という結果だけじゃなくて、
そこに向かう過程だって、受け取れる。
むしろ、モノが満たされた今は、
そっちの方が(たとえば一所懸命さが)人を幸せにすることもある。
私の場合は何かなぁ。
まぁ、このブログもそうか。
一緒に勉強する、小さなクラスとかも。
自分が、真っ当に生きて死んでいきたいと思い、
あれこれ考えたりしたことを、立ち止まって言葉にして、
手渡したり、受け取ったり暖めていく作業。
誰かに、何かに反応して
喜怒哀楽に振り回されるんじゃなくて、
(=周りにまき散らすんじゃなくて)
自分のありたい姿を自由に描き、その都度確認し、
できる範囲で、そこに向かっていくこと。
最速でそこを目指せ!とか、
太陽に向かって突っ走れ! みたいに言われると、
そうじゃないタイプの私は落ち込んだり諦めたりするから、
「そっちに向けて1回歩けたら1回エライ!」
くらいで良しとしよう(^^)!
きっと、意識してもしてなくても、
同じように思う方が、たまたま見つけたこのブログに、
繰り返し訪問してくださるんでしょうね。
考えてみたら、
毎日、こういう行ったり来たりのブログが、
たった何百人かにでも受け取ってもらえているって、
力強いことです。
一歩一歩、自分を真っ当に育てたいと願う、
自分が生きていることに意味を作ろうとする、
素晴らしい何百人かの方たちに届き、
その方たちがそれぞれの生きる現場を
自分の能力に応じて整えていってくださる。おおっ!
自分の描く姿に向けて、
自分を1ミリずつ育てていく。
行きつ戻りつしながら、
自分比で、前よりマシに生きていく。
みんなそうやって遠い道を歩いていく。
たくさんの、愛おしい命の営み。
すごいな。
生きていてくださって、ありがとうございます。
なんて思ってしまう。
これはなにもウィルス感染に限ったことではなく、災害や事件・事故、無理な生活習慣においてもそれは精神的疾患として確認できます。