校正を手伝わせてもらった本が出版されました。
このブログの名前はそもそも「自由の哲学を読む」ですが、
『自由の哲学』としてずっと前に出ていた(けど絶版になっていた)
鈴木一博さんの新訳です。
間に何度かの試訳がありましたが、
本翻訳として、約22年ぶりの『自由の哲学』の生まれ変わり。
タイトルからして変わってしまいました。
哲学ってとっつきにくいけど、
要は考える行為のことですもの、
そこまで思い切ったんですね!と、納得です。
『自由を考える』
ルドルフ・シュタイナー著 鈴木一博訳
出版社 榛(はんのぎ)書房+精巧堂出版
B6版376頁 本体価格 3300円(+税)
鈴木さん訳は独特の日本語で、ある意味とっつきにくいです。
簡単にはわからせてもらえません。
よく噛まないと消化できないかわり、
噛めば噛むほど、頭を通って心に、そして体まで降りてくる、
「わかった」で本を閉じさせてもらえない、なかなか独特な文体です。
同じ本を何度も新しく訳し直されているそうで、
「自由の哲学」の訳も、私家版なら5度や6度じゃないとお聞きしました。
にわかに信じられないその事実。もしかして聴き間違えかしら??
いや、22年ぶりって話もお聞きしたし…。
その地道で誠実な仕事、自分の仕事にかけられる情熱に、圧倒されます。
というか、圧倒されたままじゃなくて、背筋を伸ばすぞ!
他の人の訳と比べての特徴はと言うと、
鈴木さんの本は、どの本も、ほぼ全頁に言葉の注釈があるくらい、
ていねいにていねいに言葉を選ばれています。
たとえば、一般的には「感覚する」「思考を認識する」などと
漢字の名詞で表現されるところを
「覚える」「考えるを見る」など、和語の動詞で訳してあります。
一見「なんじゃ、そりゃ?」って感じですよね。
「感覚する」「思考を認識する」の方が慣れてる分わかった気分になるんですけど、
これも、読み慣れたらすごく身近な言葉なんです。
「覚えるって、ああ、見たり聞いたり感じたり匂ったり痛かったりする、このことね」
「ああ、私が考えてるコレを自分で見てみることね」って。
また、たとえば、普通
「AになるにはBをしなければならない」と訳するところが
鈴木訳では「Bする人はきっとAになる」と訳してあったりします。
前者だと「え~、私Bなんかできないし」と他人事として読むだけで終わりますが、
「そっか、BしたらAできるんだな」と広々した気持ちで、
自分の意志で取り組んでいけます。…というか、
「BしたらAできるんだよ。するかしないかはアナタの自由だよ」と迫られます。
1冊通すと、その差は大きい。行動が変わる。
とは言え、一人で読むにはやっぱり手ごわいので(私はそうでした)
ご希望の方がおられたら、一緒に読みませんか?
私ももう一度噛みたいので、
まずは「序」だけでも一緒に読んでくださる方募集中。
伴走者みたいな感じでよければ、ぜひ。
めっちゃスルメ本です。噛めば噛むほど面白いです(^^)/
シュタイナーが言及したジャンルはとても広いですが、
私がこの世を生きるのにシュタイナーを役立てるなら、この1冊です。
1冊を読むのに7年もかかった、思い入れの強い本です。
「自由の哲学終了~~~っ!!」
http://blog.goo.ne.jp/oneby1/e/bfe086a62ff7f241292cf543c3ce2811
寺子屋みたいに先生のご自宅の講座で、旧版の「自由の哲学」を1文1文読み進み、
「え~、もうすぐ終わっちゃうの? ホントに?」という頃に、校正のお話がつながって、
「やるやる! やります! めっちゃやります! やらせてくださ~~い!!」って(^^)。
不思議なご縁で、関わらせてもらいました。
シュタイナー自身が「ずっと残るのはこの本だろう」と言ってます。
版元から何冊かあずかっていますので、
ご興味のある方は、ぜひお声かけください。
お会いした時のお渡しでよければ、送料はかかりません。
(↑この分、もうなくなりました。下記から直接ご購入ください。10/15記)
▼こちらからもご購入になれます。
精巧堂ストア
http://www.seikodo-store.com/show1.php?show=b0040
このブログの名前はそもそも「自由の哲学を読む」ですが、
『自由の哲学』としてずっと前に出ていた(けど絶版になっていた)
鈴木一博さんの新訳です。
間に何度かの試訳がありましたが、
本翻訳として、約22年ぶりの『自由の哲学』の生まれ変わり。
タイトルからして変わってしまいました。
哲学ってとっつきにくいけど、
要は考える行為のことですもの、
そこまで思い切ったんですね!と、納得です。
『自由を考える』
ルドルフ・シュタイナー著 鈴木一博訳
出版社 榛(はんのぎ)書房+精巧堂出版
B6版376頁 本体価格 3300円(+税)
鈴木さん訳は独特の日本語で、ある意味とっつきにくいです。
簡単にはわからせてもらえません。
よく噛まないと消化できないかわり、
噛めば噛むほど、頭を通って心に、そして体まで降りてくる、
「わかった」で本を閉じさせてもらえない、なかなか独特な文体です。
同じ本を何度も新しく訳し直されているそうで、
「自由の哲学」の訳も、私家版なら5度や6度じゃないとお聞きしました。
にわかに信じられないその事実。もしかして聴き間違えかしら??
いや、22年ぶりって話もお聞きしたし…。
その地道で誠実な仕事、自分の仕事にかけられる情熱に、圧倒されます。
というか、圧倒されたままじゃなくて、背筋を伸ばすぞ!
他の人の訳と比べての特徴はと言うと、
鈴木さんの本は、どの本も、ほぼ全頁に言葉の注釈があるくらい、
ていねいにていねいに言葉を選ばれています。
たとえば、一般的には「感覚する」「思考を認識する」などと
漢字の名詞で表現されるところを
「覚える」「考えるを見る」など、和語の動詞で訳してあります。
一見「なんじゃ、そりゃ?」って感じですよね。
「感覚する」「思考を認識する」の方が慣れてる分わかった気分になるんですけど、
これも、読み慣れたらすごく身近な言葉なんです。
「覚えるって、ああ、見たり聞いたり感じたり匂ったり痛かったりする、このことね」
「ああ、私が考えてるコレを自分で見てみることね」って。
また、たとえば、普通
「AになるにはBをしなければならない」と訳するところが
鈴木訳では「Bする人はきっとAになる」と訳してあったりします。
前者だと「え~、私Bなんかできないし」と他人事として読むだけで終わりますが、
「そっか、BしたらAできるんだな」と広々した気持ちで、
自分の意志で取り組んでいけます。…というか、
「BしたらAできるんだよ。するかしないかはアナタの自由だよ」と迫られます。
1冊通すと、その差は大きい。行動が変わる。
とは言え、一人で読むにはやっぱり手ごわいので(私はそうでした)
ご希望の方がおられたら、一緒に読みませんか?
私ももう一度噛みたいので、
まずは「序」だけでも一緒に読んでくださる方募集中。
伴走者みたいな感じでよければ、ぜひ。
めっちゃスルメ本です。噛めば噛むほど面白いです(^^)/
シュタイナーが言及したジャンルはとても広いですが、
私がこの世を生きるのにシュタイナーを役立てるなら、この1冊です。
1冊を読むのに7年もかかった、思い入れの強い本です。
「自由の哲学終了~~~っ!!」
http://blog.goo.ne.jp/oneby1/e/bfe086a62ff7f241292cf543c3ce2811
寺子屋みたいに先生のご自宅の講座で、旧版の「自由の哲学」を1文1文読み進み、
「え~、もうすぐ終わっちゃうの? ホントに?」という頃に、校正のお話がつながって、
「やるやる! やります! めっちゃやります! やらせてくださ~~い!!」って(^^)。
不思議なご縁で、関わらせてもらいました。
シュタイナー自身が「ずっと残るのはこの本だろう」と言ってます。
版元から何冊かあずかっていますので、
ご興味のある方は、ぜひお声かけください。
お会いした時のお渡しでよければ、送料はかかりません。
(↑この分、もうなくなりました。下記から直接ご購入ください。10/15記)
▼こちらからもご購入になれます。
精巧堂ストア
http://www.seikodo-store.com/show1.php?show=b0040
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