これまで、自分のことを誤解された時、
相手と話す余地がなければ、
「何なん? もういいや。
自分で自分のことわかってるし、
別に全員に好かれなくてもいいわ」、
くらいな感じで、袂を分かってきた。
もちろん、後々、ずっと気になるし、
言いたいことも言わずに誤解されたままってのは、
メンタル的にもスッキリはしないんだけど、
「自分をわかってもらう努力」って、なんか、
言い訳じみてて、あんまりしたくないんだよねー。
誰に教えられたわけでもないのに、
我ながら武士道っぽい(^^)。
誰のためのぶしどーなんだか。
(↑わからずに言ってます)
そういうことが今まで2~3回あった。
5年に1回くらい、忘れた頃に、
自分比、大きな事件が起こる。
なんだかペースがあるみたい??
そのことに気付いて、
「もしかして、これは私の今生の課題かも」
って思ったのでした。
ので、今回「それはひどいよ?」
という誤解をされたので、
それを、あえて改めてもらうべく、
伝えてみることにしたのでした。
私が練習するために、
こういうことが定期的に
身の回りに起こるんかもな~と思って。
これまで、そういうのは、
怒りだと思ってなかったのよ。
誤解されるのは悲しみだと思ってた。
でも今回は、これが怒りかも??って、
思ってみたら、確かに怒ってるみたい。
今までは、「怒る」よりも
「なんでそう思うんやろ?」っていう
相手をわかりたいモードが強かったんだけど。
んで、もしかけ離れた誤解をされたことに、
怒りを感じるんだとしたら、
…いや~、やっぱりコレって悲しみ?
というより、むしろ呆れ?
う~ん、いや、怒りにしておこう!
(ほら、やっぱり「怒り」をわかってない)。
怒りを感じることによって、
「ここじゃない」とか「こうじゃない」がわかるから、
「そうじゃないなら、どうしたいの?」を実現すればいい。
それでこそ、トラブルを経験する意味ってもんよ。
う~んと、私はすぐそういう「意味」を考えがちなんだけど、
今回はそれよりも、
目の前のことを真面目に突破してみよっと。
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