『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

「糸愛」ゆえに糸が切れない繕いもの

2020年03月16日 | 手足を使う日々

いつの間にか座布団に墨の汚れがついていました。
墨って、洗っても取れないんだよね。
生地は丈夫だしコレ好きなんだけどなー。

この座布団カバー、そのまましばらく放置してたけど、
ちゃんと使ってあげられるようにしよ~と思って、
手持ちの紐を出してきました。
お菓子のラッピングを結んであった素朴な紐。

ツートンカラーでおもしろい感じだったから、
ちょっと捨てがたかったのだ。

最近、ダーニングブームっぽいから、
紐を縦横十字に組んで、真ん中だけ
タテヨコタテヨコタテヨコタテヨコ布っぽく編んで、
紐の折り返し地点=頂点だけ止めてみたら、
手間もかからなくて、絶対おもしろいぞ~。

と思ってやってみました。
こんな感じ。

四辺は紐のまま、
交差した1.5センチ角の部分だけが
荒く織った布、という体裁です。



紐がちょっと長かったので、持ち上げて手を放し、
そのままの形で座布団に縫い留め、
座布団からはみ出した紐は、
そのまま、たら〜んと残しておきました。

いや~、十字だけのつもりだったのに、
紐が切れなくってさ~~(^^)。

というのも、こないだ、
真綿から糸を紡いでみたからなのです。
たぶん。

蚕が繭から出た後の真綿帽子から、
少しずつ蚕の糸をつまんで引き出して
コマをくるくるまわしながらヨリをかけて。

蚕ちゃんが長い糸を吐き出すので、
(羽化して繭から出た穴のところは切れてるけど)
全体に一本ずつが長くつながってて、
木綿や羊毛よりよっぽどやりやすい。

気持ちよくて、くるくる、くるくる。
ああ、楽しい~。ああ、止まらない~。
木綿はもっと繊細だったし、
麻に至っては発狂寸前。

ちょっとだけでしたが、そんな経験を通して、
植物や蚕という自然の生き物が作る素材から
糸というものを作る楽しさと大変さに
触れることが出来たのです。

そしたら、
自分の都合で糸を切るってことが、
なんかエゴイスティックに感じて
抵抗を覚えてしまったんだよねー。

あらら~、
新しいことを学んで、
生きにくくなってるじゃん~(^^)。

でも、忙しい世の中でなければ、
人としては真っ当な感覚だと思うなぁ。

「持っているものを生かしたい」とか、
「与えられたものを大切にしたい」とか、
そういう感覚は誰でも持ってます。

あ、それって、
人の在り方にも通じるかもしれません。

自分に与えられた能力を大切に育て、
社会の中でどう生かせばいいかを考える方向と、
自分は何も持ってないと自分を否定して、
豊かに見える他人になりたがる方向と。
どっちが心地よいか。どっちが真っ当か。

そういう真っ当な感覚に、
時々光を当ててあげることで、
モノも人も、
「本来は、どういうのが心地いいんだっけ?」
って、思い出せたらいいね。

って、また話が広がってますが、
さっきの話に戻ると、
座布団がそこまでしかなくても、
「座布団の切れ目が、紐の切れ目」
にはしたくなかったのでした。

で、無事に全部使ってあげたんだけど、
十字の終わりの所で切っちゃうより、
楽しい出来上がり(自分比)になって、
余は満足でござる。


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