『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

身体の限界を超えて飛び出す感動

2019年12月19日 | 考える日々
昨日、生物には物質的な限界、
(つまり、無茶できないようにできてる)
があるからおもしろいし、
そこを突破しようとするから感動するのかな、
ということを考えていました。

ひじは反対側には曲がらないし、
足が折れたら、骨がくっつくまでには、
一定期間、おとなしくしてないといけない。
って。

でも粘土の人形は、
どこまででも肘を曲げることができるな。
んで、粘土の人形にも感動することはあるよね。

ロダンの「考える人」とか、
高村光太郎の「手」とかさ。
あれは、何に感動してるんだろう。
人より力強い、でも固定された生命力溢れる像。

あ、でも木彫の小さな蝉とか、
石で掘られた白菜とかにも感動するぞ??

あ、そっか。

あれは、それを作った人がいるからだ。
作った人がそれに注ぎ込んだ思いの質に感動してるんだ。
「手作りのものはあったかい」というのは、
完全に気分の問題で、その気分こそが
人を暖めるために大切なんだ。

ロボットコンテストに感動するとしたら、
そのロボットを作った人の思いに感動するんだね。

感動は、
自分の限界を越えようとしている人の努力や、
何かをしたり作ったりする時に、
それに注ぐ思いの熱さから出てくる。

「エビデンスを示せ」と言われても出せないけど、
絶対「気のせい」なんかじゃない。
気持ちは、見ようとしないから見えないんだ。

そう思うと、
仕上がりの上手下手じゃなくて、
そこにかけた思いが大事なこともいっぱいあるんだ、って。
たとえば、中高生女子が、好きな人を思いながら作る
背番号付きのユニフォーム着たマスコットとかさ~。
時々、そういうのをカバンにつけてる男の子を電車で見かけるけど、
それが、どれだけ彼氏と彼女を強くつなぐ力になるか!
きゅんきゅん(^^)。

今、私が思いを込めたいものって、何だろな。
目の前では、家族そろって食べる晩御飯。
もちろん、こうやって書いているのも、心こめられるから、
ちくちく書いていけるんだと思います。

読んでくださる方、ありがとうございます。


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