昨日、生物には物質的な限界、
(つまり、無茶できないようにできてる)
があるからおもしろいし、
そこを突破しようとするから感動するのかな、
ということを考えていました。
ひじは反対側には曲がらないし、
足が折れたら、骨がくっつくまでには、
一定期間、おとなしくしてないといけない。
って。
でも粘土の人形は、
どこまででも肘を曲げることができるな。
んで、粘土の人形にも感動することはあるよね。
ロダンの「考える人」とか、
高村光太郎の「手」とかさ。
あれは、何に感動してるんだろう。
人より力強い、でも固定された生命力溢れる像。
あ、でも木彫の小さな蝉とか、
石で掘られた白菜とかにも感動するぞ??
あ、そっか。
あれは、それを作った人がいるからだ。
作った人がそれに注ぎ込んだ思いの質に感動してるんだ。
「手作りのものはあったかい」というのは、
完全に気分の問題で、その気分こそが
人を暖めるために大切なんだ。
ロボットコンテストに感動するとしたら、
そのロボットを作った人の思いに感動するんだね。
感動は、
自分の限界を越えようとしている人の努力や、
何かをしたり作ったりする時に、
それに注ぐ思いの熱さから出てくる。
「エビデンスを示せ」と言われても出せないけど、
絶対「気のせい」なんかじゃない。
気持ちは、見ようとしないから見えないんだ。
そう思うと、
仕上がりの上手下手じゃなくて、
そこにかけた思いが大事なこともいっぱいあるんだ、って。
たとえば、中高生女子が、好きな人を思いながら作る
背番号付きのユニフォーム着たマスコットとかさ~。
時々、そういうのをカバンにつけてる男の子を電車で見かけるけど、
それが、どれだけ彼氏と彼女を強くつなぐ力になるか!
きゅんきゅん(^^)。
今、私が思いを込めたいものって、何だろな。
目の前では、家族そろって食べる晩御飯。
もちろん、こうやって書いているのも、心こめられるから、
ちくちく書いていけるんだと思います。
読んでくださる方、ありがとうございます。
(つまり、無茶できないようにできてる)
があるからおもしろいし、
そこを突破しようとするから感動するのかな、
ということを考えていました。
ひじは反対側には曲がらないし、
足が折れたら、骨がくっつくまでには、
一定期間、おとなしくしてないといけない。
って。
でも粘土の人形は、
どこまででも肘を曲げることができるな。
んで、粘土の人形にも感動することはあるよね。
ロダンの「考える人」とか、
高村光太郎の「手」とかさ。
あれは、何に感動してるんだろう。
人より力強い、でも固定された生命力溢れる像。
あ、でも木彫の小さな蝉とか、
石で掘られた白菜とかにも感動するぞ??
あ、そっか。
あれは、それを作った人がいるからだ。
作った人がそれに注ぎ込んだ思いの質に感動してるんだ。
「手作りのものはあったかい」というのは、
完全に気分の問題で、その気分こそが
人を暖めるために大切なんだ。
ロボットコンテストに感動するとしたら、
そのロボットを作った人の思いに感動するんだね。
感動は、
自分の限界を越えようとしている人の努力や、
何かをしたり作ったりする時に、
それに注ぐ思いの熱さから出てくる。
「エビデンスを示せ」と言われても出せないけど、
絶対「気のせい」なんかじゃない。
気持ちは、見ようとしないから見えないんだ。
そう思うと、
仕上がりの上手下手じゃなくて、
そこにかけた思いが大事なこともいっぱいあるんだ、って。
たとえば、中高生女子が、好きな人を思いながら作る
背番号付きのユニフォーム着たマスコットとかさ~。
時々、そういうのをカバンにつけてる男の子を電車で見かけるけど、
それが、どれだけ彼氏と彼女を強くつなぐ力になるか!
きゅんきゅん(^^)。
今、私が思いを込めたいものって、何だろな。
目の前では、家族そろって食べる晩御飯。
もちろん、こうやって書いているのも、心こめられるから、
ちくちく書いていけるんだと思います。
読んでくださる方、ありがとうございます。
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