ショパンの小品をいくつか練習しています。
去年弾いてたのがベートーベンだったから、
あまりにも違うところが刺激されてびっくりします。
今日のレッスンで、
「ここはどんなイメージで弾いてますか?」と聞かれました。
弾く度にイメージが変わるところがあるらしくて、
言われてみれば、そこはな~んも考えずに弾いてたわ。
ので、改めて自分の中から、そっとイメージを取り出してみた。
「冒頭は大きな本棚の前に立って、1冊手に取ってみたところ」
「2段目は、その本の表紙を思い切ってめくってみて…」
などなど、頭に浮かぶイメージをそのまましゃべってみた。
これはノクターン20番(嬰ハ短調、遺作)。
最後は星になって、空に昇っていくの。
星のきれいな透き通った寒い夜、音もなく降る雪。
ほんとにキラキラした繊細な音の連続。
「ズゴゴゴゴゴ、じゃじゃじゃじゃ~~ん」な
ハードロックなベートーベンの
「これでもか!」的な情熱的なパワーとは全然違って、
薄い詩集のページを風がそっとめくるような風情。
続いて、もう1曲。ワルツ10番(ロ短調)。
「ワルツって日本にはないから、イメージが難しいですよね」
と言ってくださるが、話しながら出るでる!
違う人生を歩んでいた2人が、
20年ぶりに、舞踏会で偶然出会う。
順番が来て、ゆっくりワルツを踊り出す。
長調に変わる所は、
踊っているうちに、若い頃の思い出が解凍されてくる。
時々入るキメゼリフみたいなフレーズは、
さしづめ、映像がビビッドに立ち上がったところ。
もはや遅すぎるのに、
揺れそうになる気持ちに戸惑いながら、
この1曲の間だけと、割り切ってワルツを踊り続ける。
曲が終わると、相手の幸せを祈って笑顔で離れる。
小さな痛みに気付かれないように…みたいな。
ショパン、すごすぎ。
何、このイメージ(^^;)。
「オトナですね~」「オトナですから~」。
あ~ビックリした。
先にレッスンを終えた思春期の子どもが、
後ろで宿題してる(^^)。
その妄想イメージで弾いてみたら、
とっくに忘れ去ってた事を思い出しかけて、
あらら…と、ちょとだけ覗いて、フタをした。
予告ナシで突然出てきたら驚くじゃない、
ショパンめ! というか音楽の力ってスゴイな。
夜、もう一回、自分から開けてみた。
まっすぐでバカで懐かしい、青春という時代。
いろんな顔が浮かぶ。
みんなどうしてんのかな~。元気だったらいいな~。
芸術は、眠っているものを目覚めさせたり、
知っていたことを思い出させたり、
人の内側を変化させる力を秘めているね。
文字通り、心が動く。
きれいなもので満たされ、力が湧いてくる。
芸術は生命維持にとっては「不要不急」だけど、
心や精神の維持のためには「不可欠」。
人間は、動物とは違う、機械とも違う。
心臓を動かし続けるだけが目的じゃなくて、
自分の持ち味を生かして、
まわりと一緒に幸せになっていきたいと願う存在。
人間は1人ひとりが、他の誰とも違う特別な存在。
であると同時に、
お互いに響き合い、わかりあえる可能性がある存在だ。
そんなことを、芸術は教えてくれる。
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