『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

絵本を読むおばちゃん

2016年05月25日 | 考える日々
子どもの通う小学校では、毎週1回、
保護者有志が一人ずつ各クラスに入って、
絵本を読む時間がある。

子どもに頼まれて、私も今年からそのメンバーになり、
朝のひととき、子どもと絵本を楽しんでいる。

最初なので、気負って、絵本を選び、
「命の循環」のテーマを選ぼうとしてたら、
子どもが「ゆーとくけど、おかーさんの好きそうな本って、
子どもはあんまり好きじゃないよ?」とアドバイス。

ガガ~ン。ひとりよがりだった?
朝からは重すぎるかな、やっぱり(^^;)?
「まぁ、朝だもんな~。素直に元気が出る本にしよう」と、
最終的に、落語の絵本を選びました。

数年前に教えてもらった言語造形の基本を思い出し、
丹田に力を入れて、声を、音をたっぷり響かせ、
息づかいを意識して、練習してみる。
何度か読んでみて、どっぷり言葉に沿ってみる。

言語造形を学んでいた当時、気づいたのに忘れていたこと。
英語だ中国語だとゆーご時世に贅沢な話なんだけど、
私、日本語でも標準語じゃ自分の言葉として話せないのよ。
やっぱり私は、自分が普段使っている言葉の方が、
生き生きした感情が乗せられる。

んで、直感で選んだ落語絵本は、よく見たら、大阪が舞台だった。
なんとなく、それもわかってて選んだ気すらする。
なので、思い切って関西弁で読み変えることにした。
結果的にアドリブ満載(^^)。

関西弁と言っても、京都のはんなりや、神戸のとーとー、
ディープすぎるオラオラではなく、
キタと呼ばれるエリアの、テンポ良く、ほど良くワガママで
とても深い人情を表す、その土地の大阪弁で。
運良く、若い頃、その辺りで働いていたこともあるので
これはもう、大阪弁で読むしかないのだ!

クラスごとに、子どもごとに笑う箇所や反応が違ったりして、
「もっとこう読もう」「次はこう読んでみよう」と
毎回、セルフ反省会、大盛り実施中。

こないだも、子どもたちと一緒に笑い、
読み終えて挨拶していると、
先生も、お礼を言ってくださいました。
「上手に読んでくださってありがとうございました」と。

え…、今、なんと??
「上手」という言葉に、みょ~~な違和感を覚え、
さっきからウニウニと、その正体を確かめているところです。

子どもが絵を描いたりしてる時、
私もつい言ってしまうんですよね。
「上手に描けたね~」なんて。
先生もついいつもの癖で言ってくださったんでしょうけど。

描きたくて描いて、
満足して(または満足せず)描き終えたものに、
人がいちいち評価を与えても、まったくもって意味がない。
大きなお世話ですよね。

言う時は、深く考えずに言っちゃうけど、
言われた方は「はぁ…で?」って感じなんだと実感。
自分の描いた絵は自分で満足に描けたかどうかわかるし、
そんなテキトーな言葉で評価されたくないよね。

振り返って、今日のワタクシ。
先生に「上手に読んでくれてありがとう」と言われ、
「はぁ、どうも…」。
子どもと一緒に笑った楽しい気分が、
しゅぅぅぅ~~っとしらけたのでした。
なんで?

私はたぶん、先生にも一緒に楽しんで欲しかったのです。
それなりに本気で読んでいる私と、
朝の貴重な時間、教卓で一日の用意をしながら、
BGMとして聞いている先生との温度差。

んで、上の空で聞いていた先生から、適当にホメられたから、
「んなテキトーな評価はいらない」と
素直に受け取れなかったんだろな。
なるほど、なるほど。そういうことか。

と、違和感の正体がわかったところで、
忙しい先生にブツブツ言ってる暇があったら、
忙しい先生も、思わず夢中で聞きたくなるよう、
もうちょっと練習することもできるよね。

自分の「何だ、それ?」という気持ち悪さに巻き込まれず、
その気持ちを他人事のように見て、
「今度は楽しませるぞ!」とも考えられること。
でも、先生に聞かせるのが目的じゃない、とわかってること。
自分が他人に安易な評価を下さないこと。
評価を求められたら本気で向き合ってからにしよう、と意識すること。

などなど、できることはいっぱい。
自分の気分からも、自分を自由にできること。
自由のパワーは素晴らしく、果てしない(^^)/

最新の画像もっと見る

コメントを投稿