『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

■自由の哲学15章1段落_1

2016年05月22日 | 『自由の哲学』
ついに、講座が終わってしまいましたが、
こっちもついに第3部。
と言っても、第3部は1章だけですが、読んでいきます。
残りページの少ないのが惜しいこと!

最終章のテーマは「つまりの問い」。
…問い?
最後まで、答えを教えてくれないらしい(^^)。
でも、読んでいくこと自体が、自由を教えてくれる。
自分が自由を考えること自体で、自由になっていけるという、
何とも謎の本です。

「どうやったら自由になれるの?」と
答えを外に求めて読みはじめました。
「私、これやりたいからやる」と、
自由を妄想して失敗したことも多々ありました。

失敗しつつ
「私、これやりたいからやる」の原因も影響も見て、
なおかつ、自分はそれをやりたいからやる、という
自分の高いところからの悟りに基づいて、やりたいことをやる、
周囲も見て、自分も見て、考えて、行為する。
そんな姿勢を学んできました。

もちろん、「わからんけど、これ、やりたいからやる」と、
原因も影響もわからずに、予感だけが降りてきて、
それに従うことも、大事です。まさに悟りだなぁ~。
この本を読むことは、そうやって始まりました。
「たぶん、この本は私が生きるのにすごく大事な本だ、
自由が私のテーマだ」っていう予感。
読む前は中身もわからないのに、不思議だね。

さて。読んで行きましょう。


世をまるごと一つとして理解しようとする論、
つまりここで言ってきた一元論は、
世を理解するのに必要な原理を
人が覚えられるリアルなところから取る。

一元論では、人が何かをする原因も、
人が覚えられるリアルな世界に、
私たちが知ろうとしたら誰でもわかる
「道徳のファンタジー」に求める。

一元論は、
自分では見えないし、
いくら考えてもホントかどうかわからないもの、
たとえば「神様の意志」なんていうものに、
世を理解する基礎を求めない。

一元論にとって、
生き生きと「考えながら見る」ことが、
混沌とした理解不能な世を、整理して
ひとつの世として理解する方法だ。

その方法で、カオスに見える、理解したいあれこれのこと、
たとえば、物理の法則であったり、精神の法則であったり、
そういうバラバラなものが、
ひとつのものとしてわかってくる。

そのように、ひとつのものとして理解できる世の向こうに
もうひとつのもの(神など)を求める者は(二元論者は)、
理解しようとした対象と、頭の中で考えたことが重ならない、
と、言っているようなものだ。


14章まで、しばらく読みやすかったのに、
15章になって、いきなり難しくなりました。
今までのまとめの章だから、
今までを思い出さなきゃ読めないのでしょうか。
う~む、難しい。

まず、自由に寄与する認識(1~7章)も、
自由を実践すること(8~14章)も、
この本は、ずーっと一元論を言ってます。

自分でわかりもしないことを、外の世界に設定して、
それを理由にしたりしません。
それって、めちゃくちゃありがちですが。
職場でも「上司がそう言うからやれ」とか、
普通にありそうです。

そう言われたら、
普通の人は上司の言うことの理由を考えるのですが、
哲学者は考えるプロですから、
これはもう人のことくらいはトコトンまで考えて、
それでもわからないことを「神の意志じゃない?」
とか考えてスッキリした人もいたわけです。

最後の文章、わかりにくいです。
「(二元論者は)考えて発見したところと、わかろうとした目標が
まるまる同じだと知らない」と証明してるだけだ
という文章。

何が言いたい?
「なんで上司、こんなデータ出せって言うんやろ?」
とわかりたいのが目標。
「お客さんにわかって欲しいからや」
というのが考えて発見した答え。としたら。

え~、違うかも。
上司の命令の意図と、自分で考えた理由は重なるとは限らない。
部下を育てる、なんて意図もあるかもしれない。

言いたいことがわからん…。
講座のメモ。
「みつばちの巣を考えることで巣の中に入ることができる」。
…さらにわからん。

そっか、もっと見ること、もっと考えることのススメか?
直接意図を聞いてみるとか、上司の言動をウォッチするとか、
先輩の時はどうだったとか、など、あれこれ見て、
それと自分の考えを重ねていく。
勝手に思いこむのではなく、ちゃんと見て、
それと考えを重ねていくことで、意図が見えてくる。

上司ってのは小さな例だけど、それを世界に広げた時には、
意味のわからないカオスの世界を互いに関連づけ、
そして、それと自分をもつなぐ意図、糸が、
神様なんか設定しなくても、自分のわかる範囲で見て考えることで、
明らかにされてくるでしょ、
考えることって、それほどスゴイのよ、ってことだね。

世界の出来事についても、ケータイの100文字ほどのニュースで
「なんじゃ、それ、意味分からん」と思い、
新聞の解説で「ふーん、そうなのね?」と軽くわかった気になり、
ぜんぜん別の人の意見を聞いて「え、そんなとらえ方?」と混乱し、
当事者の声とか聞いて「マジで?」とカオスになっていくけど、
そこから、自分の頭で考え直すことで、
カオスがぼんやりした形を作り、だんだん理解に近づいてくる、
という、見て考える力のスゴさ。

それって、でもまあ、関心の薄いことに関しては
「んで、正解は?」って、人に求めがちなんだけどね。
自分で考えないテーマでも、感性を磨く、
信頼に足る解説者から解説してもらう、くらいは意識したい。
あ、それって、もう考えてはじめてるか。

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