『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

こする、こする、こする!!

2021年06月18日 | 手足を使う日々
ふと気になって、そして気が向いて、
油がこびりついて茶色くなっていたお鍋を
磨き始めました。

買って10年弱。
ウチに来てから中身を洗われるだけで、
外を磨かれることのなかった子。

10年間の汚れのこびりつきは実にしつこくて、
石鹸を溶かしたお湯でしばらくふやかして、
硬いザラザラのシートで
思い切り力をかけてガリガリ削り取る感じなのに、
なかなか、こびりつきが取れない。

それでも、ちょっとずつ油汚れが薄くなって、
ちょっとずつ地肌の輝きが現れて、
表面積の7割くらいキレイになったところで、
指先に異変を感じて終了。

気が付けば、
人差し指と中指の先が、
水ぶくれになりかかってました(^^;)。

途中で辞めたから、コントラストがすごくて、
嬉しそうに写真を撮ってみました。
これ、今度磨いたら、全体がピカピカになるはず。
でも、これはまだフタだけで、
本体も外側は全体に茶色いんだけど。

そして、ごはんを炊いたら、
磨いたばかりのフタが、また汚れた。
写真は、また汚れた時のもの。あう~。

すぐ汚れたにしても、
いったんピカピカにした事自体が、
とても気持ちいい。
何度でもキレイにしてあげたい。

何だろ、この気持ち良さ。
「ものとていねいに付き合っている感じ」
がいいのかな?

今までの私の「中身さえキレイなら、
外側なんかどうせすぐ汚れるんだから、
磨いても磨かなくても一緒じゃん」っていう感覚より、
ずっと真っ当な感じがする。

自分ちの庭に関しては、
「秋は落ち葉があるのが当たり前。
そのうち肥料になるから、
落ち葉なんか掃き集めなくてもいいよ」
と思うけど、やっぱり、
神社やお寺とかの掃き清められた庭は気持ちがいい

ああっ!! これってさ~、
「人はどうせ死ぬんだから、
何を頑張っても無駄でしょ」
っていうのと、
「人はいつか死ぬけど、より良く生きたい」
っていうのと、
どっちを取る? っていう話かな。

毎回汚れるけど、毎回キレイにすることは、
「この命を大切に、より良く使いたい」
に1票を投じる真っ当さに通じるものがある。

…と、また大きなこととつなげてしまった。

「今あるものを大切に使う」と言う行為は、
全部そこにつながっているのかもしれないな。



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