ふと気になって、そして気が向いて、
油がこびりついて茶色くなっていたお鍋を
磨き始めました。
買って10年弱。
ウチに来てから中身を洗われるだけで、
外を磨かれることのなかった子。
10年間の汚れのこびりつきは実にしつこくて、
石鹸を溶かしたお湯でしばらくふやかして、
硬いザラザラのシートで
思い切り力をかけてガリガリ削り取る感じなのに、
なかなか、こびりつきが取れない。
それでも、ちょっとずつ油汚れが薄くなって、
ちょっとずつ地肌の輝きが現れて、
表面積の7割くらいキレイになったところで、
指先に異変を感じて終了。
気が付けば、
人差し指と中指の先が、
水ぶくれになりかかってました(^^;)。
途中で辞めたから、コントラストがすごくて、
嬉しそうに写真を撮ってみました。
これ、今度磨いたら、全体がピカピカになるはず。
でも、これはまだフタだけで、
本体も外側は全体に茶色いんだけど。
そして、ごはんを炊いたら、
磨いたばかりのフタが、また汚れた。
写真は、また汚れた時のもの。あう~。
すぐ汚れたにしても、
いったんピカピカにした事自体が、
とても気持ちいい。
何度でもキレイにしてあげたい。
何だろ、この気持ち良さ。
「ものとていねいに付き合っている感じ」
がいいのかな?
今までの私の「中身さえキレイなら、
外側なんかどうせすぐ汚れるんだから、
磨いても磨かなくても一緒じゃん」っていう感覚より、
ずっと真っ当な感じがする。
自分ちの庭に関しては、
「秋は落ち葉があるのが当たり前。
そのうち肥料になるから、
落ち葉なんか掃き集めなくてもいいよ」
と思うけど、やっぱり、
神社やお寺とかの掃き清められた庭は気持ちがいい。
ああっ!! これってさ~、
「人はどうせ死ぬんだから、
何を頑張っても無駄でしょ」
っていうのと、
「人はいつか死ぬけど、より良く生きたい」
っていうのと、
どっちを取る? っていう話かな。
毎回汚れるけど、毎回キレイにすることは、
「この命を大切に、より良く使いたい」
に1票を投じる真っ当さに通じるものがある。
…と、また大きなこととつなげてしまった。
「今あるものを大切に使う」と言う行為は、
全部そこにつながっているのかもしれないな。
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