『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

決まったことをやる練習

2021年06月19日 | 手足を使う日々
今日、何の話の流れだったか、
「私は今、
決まったことをやる練習をする必要があるんです」
って言ってた。

言ってから「ホント???」って
自分で絶句した。
人が決めた事に従うのが大嫌いな
この私が!

なんでそういう言葉が出たんだろう? と、
その後、しばらく考えていたんだけど、
ちょっとわかった。

基本的に、決まった事を強制されるのは、
人間じゃなくてマシンの役割だから、大嫌い。
その都度、現場の人間が考えて、
一番いいと思う方法を取ればいい。

でも、
自分が知らない場所で、望む結果を得るために、
その道のプロが考えたプロセスを踏むことは、
自分の望みをかなえるために必要だ。

決まりがすべて悪くて、
自分で考えるのがすべていい、というわけじゃなくて、
自分がその規則の必要性を納得しているかどうかが、
規則に従うかどうかの分かれ道だったんだな。

仮に、めちゃくちゃ面倒で、
めちゃくちゃ細かくて、
おいおいマジか…というような決まりごとがあったとしても、
自分に何の知識も経験もなくて、望む結果に必要なら、
プロが責任もって決めてくれるのはありがたい。

でも、最終的に、
プロが決めた規則でも、自分が見通せる範囲では、
現場の人間が一番いいように
アレンジして行けばいいと思う。

いちごジャムを作る時の砂糖の量は、
その時のいちごの酸味によって
自由に変えてもいい…変えた方がおいしいように。

…とか言ってると、
認可とか免許とかで縛られるんだろうけどね。
その瞬間、本質から離れた話になる。

とは言え、
知識も経験もない、意識の低い不道徳な人が
てきとーな量の砂糖をぶち込んで
おいしいジャムが作れるわけもないから、
そういう人にはレシピを伝えて一定レベルを担保しないと、
いちごも周りも迷惑する。

アレンジが許されるのは、
その現場をよく知り、
それを通して社会に貢献したいと思う、
プロ意識と高い道徳性を兼ね備えた人。

そこから考えると
規則を(破るのではなく)消化してさらに自由になるためには、
・知識と経験
・高い道徳性
・見る力と、考える力
が必要だということになりそうです。

むむ~、病気かなぁ。
何を考えはじめても、
『自由の哲学』に集約されていく…。
この本だけは真面目に読んできたからな~。

マンネリを感じると、時々急に、
新しいことをやりたくなるんだよね。
自分の中から
もっといろんな考えを引き出したくなって。

おお、そーなのかー。
自分の中から新しい考えを引き出したくて、
居場所を変えるのかー。
自分サイズの新しいチャレンジなんだね。
納得納得、それなら納得。

いい年になって、
むしろ、そっちの方が病気だな(^^)。



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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ZIP)
2021-06-19 20:30:48
規則とは、しなければならないという他人からの強制でもなく、自分がしたいからという必要性ですらもない。
他人からも自分からも自由でいられる為に、まさにそうすることになっている手続きに他ならない。

・・・なんてね。
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Unknown (オキツ)
2021-06-20 23:07:49
えーと、どういうことだろう? 例が聞きたい。
…なんてね(^^)。
返信する

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