自分が子どもと暮らすようになって、
子どもの小さなころから、
「〇〇しなかったら××するよ」
みたいな脅し方をしないよう、
同じことを言うのでも「〇〇したら××できるよ」と
希望のある言い方を心掛けてる。
前回、前々回、そういう話を書いたら、
「面倒くさ~」という、
素直で素朴で真っ当な反応がありました(^^;)。
今回は、なんでわざわざ
そんな面倒なことがしたいのか、
を書いてみます。
それは、ズバリ
「人間だから」。
いやー、
またワケのわからんことをゆーてますが(^^)。
要は、自分を大事に生きてほしいから。
小学校高学年の今、
「走ったら人参あげる」みたいなウマ扱いをしたら、
(そりゃ、そうしないと進まない時には、そう言うけど)
あまりにもそれに慣れすぎてしまうと、
「子どもの尊厳」的なところが傷つくと思うんだよねー。
自分を大事に生きて行ってほしいのに、
ココロが柔かいこの5年生の時に、
「アンタは何にもわかってないんだから
言うことを聞いといたら間違いない」って教えるのは、
本末転倒だと思うから。
自分のココロを抑える癖はつけてほしくない。
自分のココロを抑える方が楽でスムーズな場面が多いことや、
自分を出す方が楽しいけど責任も負うことの機微は、
学校や友達との経験でわかるから。
あえて、親が「言うことを聞け」って言わなくてもいいかな。
強いものには逆らうな、って教えたくはないし。
むしろ、
「強いものに逆らうのは、とても大変だけど、
本当に必要な時には逆らうことも必要だ、
ただし命がけだぞ」
って教えたいくらい。こわ〜(^_^)。
朝寝たい、とか、オヤツ食べたい、とか、
そーゆーしょーもないことじゃなくて、
自分の生き方、とか、命、みたいな時ね。
まぁ、尊厳がどーとかこーとか言っても、
モノゴトは進めなくちゃいけない。
時間は守らなくちゃいけない。
外の日常は、本人のやる気がない時にも
容赦なく本人を置き去りにして進んでいく。
本人を置き去りに、本人が不在のまま進む日常に、
なんとかくっついていくために、
脅してすかしてなだめてコントロールするのは、
ちょっとしんどい。
同じしんどいなら、
自分の働きかける、自分の生きる、
自分が動けば変わる、自分の未来を拓く、
そんな、希望のある日常としてとらえられるよう、
「自分の望みのために、自分にできることがあるから、
それをする」という回路が育つよう、サポートしたい。
だって、その方が
しんどくても100万倍楽しいもの。
とは言え、小さい時、たとえば
保育園に送って行って、会社に間に合うのは、
ウルトラC級に至難の業だった。
そういう時は、「行きたくない」とダダこねる
子どもの気をそらしてテンションあげて、
なんていうズルや、
場合によっては、力づくで抱っこして、とかもしたけどね。
「じゃあ、エラソーに言うなよーーっ」
っちゅー話ですが。
そういう時、
「(私にとって迷惑だから)早くしなさいっ」と思うけど、
そこに、1%だけ子どもの気持ちに
「ゴメンね」と添えるかどうか、
みたいなところ、かなぁ。
あと、それに、言い方ってクセだから、
慣れると言い換えるのも別に面倒でもない。
まぁ、カンペキにはできないけど、
意識して1回言い換えたら、
1回分、マトモな伝え方ができた、やったー。
くらいの積み重ねでいいや、と思ってます。
オトナだってイヤだもの。
「あの国に爆弾落としてきたら、
ご褒美にたんまりお金あげる」
なんて言われても。
あ、でも
「ちょっと違和感あるだろうけど、
そこに目をつぶってコレやってくれたら、
いい目にあわせてあげる」くらいなら、
日常的にいくらでもあるけどね。
利益誘導されても、損得の勘定が全然合わなくても、
おかしいかどうか自分の目で見て、
ちゃんと自分の頭もココロも使って考えて
場合によっては断って、
自分が必要だと思う別の事ができる人になって欲しい。
というか、自分がそうなりたい。
子どもの小さなころから、
「〇〇しなかったら××するよ」
みたいな脅し方をしないよう、
同じことを言うのでも「〇〇したら××できるよ」と
希望のある言い方を心掛けてる。
前回、前々回、そういう話を書いたら、
「面倒くさ~」という、
素直で素朴で真っ当な反応がありました(^^;)。
今回は、なんでわざわざ
そんな面倒なことがしたいのか、
を書いてみます。
それは、ズバリ
「人間だから」。
いやー、
またワケのわからんことをゆーてますが(^^)。
要は、自分を大事に生きてほしいから。
小学校高学年の今、
「走ったら人参あげる」みたいなウマ扱いをしたら、
(そりゃ、そうしないと進まない時には、そう言うけど)
あまりにもそれに慣れすぎてしまうと、
「子どもの尊厳」的なところが傷つくと思うんだよねー。
自分を大事に生きて行ってほしいのに、
ココロが柔かいこの5年生の時に、
「アンタは何にもわかってないんだから
言うことを聞いといたら間違いない」って教えるのは、
本末転倒だと思うから。
自分のココロを抑える癖はつけてほしくない。
自分のココロを抑える方が楽でスムーズな場面が多いことや、
自分を出す方が楽しいけど責任も負うことの機微は、
学校や友達との経験でわかるから。
あえて、親が「言うことを聞け」って言わなくてもいいかな。
強いものには逆らうな、って教えたくはないし。
むしろ、
「強いものに逆らうのは、とても大変だけど、
本当に必要な時には逆らうことも必要だ、
ただし命がけだぞ」
って教えたいくらい。こわ〜(^_^)。
朝寝たい、とか、オヤツ食べたい、とか、
そーゆーしょーもないことじゃなくて、
自分の生き方、とか、命、みたいな時ね。
まぁ、尊厳がどーとかこーとか言っても、
モノゴトは進めなくちゃいけない。
時間は守らなくちゃいけない。
外の日常は、本人のやる気がない時にも
容赦なく本人を置き去りにして進んでいく。
本人を置き去りに、本人が不在のまま進む日常に、
なんとかくっついていくために、
脅してすかしてなだめてコントロールするのは、
ちょっとしんどい。
同じしんどいなら、
自分の働きかける、自分の生きる、
自分が動けば変わる、自分の未来を拓く、
そんな、希望のある日常としてとらえられるよう、
「自分の望みのために、自分にできることがあるから、
それをする」という回路が育つよう、サポートしたい。
だって、その方が
しんどくても100万倍楽しいもの。
とは言え、小さい時、たとえば
保育園に送って行って、会社に間に合うのは、
ウルトラC級に至難の業だった。
そういう時は、「行きたくない」とダダこねる
子どもの気をそらしてテンションあげて、
なんていうズルや、
場合によっては、力づくで抱っこして、とかもしたけどね。
「じゃあ、エラソーに言うなよーーっ」
っちゅー話ですが。
そういう時、
「(私にとって迷惑だから)早くしなさいっ」と思うけど、
そこに、1%だけ子どもの気持ちに
「ゴメンね」と添えるかどうか、
みたいなところ、かなぁ。
あと、それに、言い方ってクセだから、
慣れると言い換えるのも別に面倒でもない。
まぁ、カンペキにはできないけど、
意識して1回言い換えたら、
1回分、マトモな伝え方ができた、やったー。
くらいの積み重ねでいいや、と思ってます。
オトナだってイヤだもの。
「あの国に爆弾落としてきたら、
ご褒美にたんまりお金あげる」
なんて言われても。
あ、でも
「ちょっと違和感あるだろうけど、
そこに目をつぶってコレやってくれたら、
いい目にあわせてあげる」くらいなら、
日常的にいくらでもあるけどね。
利益誘導されても、損得の勘定が全然合わなくても、
おかしいかどうか自分の目で見て、
ちゃんと自分の頭もココロも使って考えて
場合によっては断って、
自分が必要だと思う別の事ができる人になって欲しい。
というか、自分がそうなりたい。
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