『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

フォークの使い方20

2020年01月15日 | 考える日々
最近、自分の頭が固いなぁ、
発想が固定しがちだなぁ、と思っている。

身近に起こることに関しては、
「好き嫌いじゃなくて、起こったことをちゃんと受け止めよう、
不快なことも、理不尽なことも、何かのメッセージとして受け止めよう」
と思っている。

…思っているだけで、
出来ているかどうかはまったく別だけれど。

だけど、身近じゃないこと。
たとえば、テクノロジーに関しては、
いったん「そこまでいらない」と思ったら、
「もっと必要な例」があることには目を向けず、
「行き過ぎて問題になる例」ばかりが目に付く。

これでは、
「テクノロジーが発展すればすべての問題は解決する」
と無邪気に信じている立場と変わらない。

色とりどりのボールが入ったプールの中で、
緑だけに注目して
「これは緑のボールプールだ」と言っているだけのことだ。

自分に出来るかどうかは別として、せめて、
「別の立場から同じ現象を見たら」くらいは発想を広げてみなければ、
自分の意見を再確認するために世の中を見ているだけで、
何の気付きも学びもなく、真実にも近づかない。

つまり、「下手の考え休むに似たり」というアレだ。

というわけで、こないだ神戸の勉強会でやってみた
発想を柔らかくするための「発想の筋トレ」を思い出す。

その中の一つに
「フォークを使ってできることをできるだけたくさん考える」
なんていう、一見ナンセンスなことがあって、
フォークやお箸、マグネット、スプーンなど、
各自で持ってきたものの使い道を考えたら、
それぞれ20個以上出てきておもしろかった。

たとえばフォークなら、
「頭をかく」「粘土に線をつける」くらいはいいとして、
「(持ち手のところをかんざしのように使って)髪を止める」
なんて、苦しいものまであったけど、なかなかおもしろかった。

おもしろかったので、
実家に行ってお茶飲んでる時に、アラエイト
(オシャレに言ったところで80は80なんだけど)の両親に
「机の上にあったつまようじで何ができるか」、
って言って、遊んでみた。

ら、二人そろって、たった5個も出てこないの!
それにもビックリしたなぁ。

話をしていても、確かに頭は固くなってきてるんだけど、
まぁ、元気でいてくれるだけでヨシとしよう。
ん? 父の場合は、昔からガンコだったか??

まぁ、素朴なものの、本来でない使い道を考えることは、
発想が柔らかくなる練習になるということで、
1か月、取り組んでみることにしました。

座布団、お菓子の空箱、定規、洗濯ばさみ、
お茶碗、靴下、てぬぐい、カマボコ板…なんでもいいんだけど、
とりあえず、素朴なものの方があれこれ考えられるよね。

これ、小さい子どものおもちゃで考えたら、
プログラムされたゲームや、作りこまれた模型なんかは、
それを作った人の意図する目的のためにしか遊べないけど、
積み木や長いロープ、スコップ、棒、粘土なんかは、
何にでもなって、どんどん遊びが広がるよね。

何なら、おもちゃじゃなくて、
どんぐりや手ぬぐい、キッチンのお玉なんかの方が
よく遊んでいたくらいだもんな~。

子どものおもちゃは素朴なものがいい。
ウチの子の場合はテクノロジーからわりと遠ざけていたけれど、
素朴なおもちゃは、何年でも飽きずに遊ぶし、
その遊び方の変化を見てるのが、またおもしろい。

あれは、
子どもの世界が広がって、
発想が豊かになっていくのを
見せてもらってたんだね。

あら。
書いているうちに
思いがけない着地点に連れてこられたわ。

気が向いたら、大人のみなさまも、
電車に乗ってても、散歩していてもできる、
発想を豊かにする遊びとして、
「素朴なものの別の使い方を考えてみる」
に、取り組んでみてはいかが?


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