『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

向き不向きが、どうでもいい時

2020年11月30日 | 考える日々
こないだ、何かの話をしていて、
「アナタは会を運営するのに向いてないの?」
と確認されました。
ハイ、向いてません。

昔から、良くて副委員長、普段は迷いネコかはぐれ鳥です。
ガンガン物事を進める人がいて、その横で、
ガンガンのぶつかり先に「ゴメンね」ってフォローしてまわったり、
ガンガンから振り落ちた人に「大丈夫? 一緒行こう」って言ったり。

ガンガンが自分に同意できない時は、さっさと
あたしこっち行くから、またね、と離脱したり。
そーゆーのが向いてます。
「人は人でいいと思う事をやればいい」と思っているので。

それなのに、なんでまた、
シュタイナーの勉強会をやってるんだか…。

最初から備わっているものを育むことは、
自分の持って生まれた課題に応えること。
素質はなさそうだけど、
自分で必要なものを伸ばしていくことは、
未来の自分への種まき。

リーダーシップがないのに、何かを主催するのって、
種まきだな、と思います。
受け取ってくださる方への、じゃなくて、自分への。
養分がない土壌に播くから、なかなか育たないけど。

養分がない土に植えるのは、
サツマイモと相場が決まってて、
サツマイモなら立派な芋がゴロゴロ出来ていいんだろうけど、
空に向かっても伸びていきたくて、大豆も播いてみる。

最初はうまく育たないだろうけど、めげないぞっ!
大豆の根っこは養分を集めてくれるから
来年はもうちょっと大きく育つはず、
みたいな感じ。

そしたら、土の中で大きく育つ経験値を持っている上に、
光に向かって育つ経験値も増やしていける。

「向いてないのにどーして?」という問いには
「やりたい事だったから、流れで」としか言いようがない。

不思議ですよね~。
誰にも頼まれないのに、仕事でもないのに。
向いてないのも、知ってたのに。

でもね、向いてなくても、やりたいんです。
やりたい事のために自分を使う。
そこは、自由を発揮できる場所だ、と思うから。

誰かのエゴによって強引に何かを決めることなく、
損得計算で力の出し惜しみをする事もなく、
他人を否定することなく、自分を押し付けることなく、
自分たちの持っている力を出すことで、みんなで豊かになる。
ステキな人たちと集えて、好きな勉強が一緒にできる。

そういう自由な場所は、なかなか見つかりませんが、
メンバーみんなでそれに向かっているココは、
理想的な自由な場所になってきました。

「向いている」とか「向いてない」とかいうのが、
自分が落ち込むかどうかだけの話なら、
もはや、どうでもよくなっています。

向いてなくて、要領悪くて、うまく出来なくて、理解が浅くて、
来てくださる方が、もどかしく思って、
私も力不足で申し訳ないなぁ~と思うけど。

強制しないのに
来てくださる方が一人おられたら、
それが、ひとつの答えだと思っておきます。

自分の中で、後ろ向いてクヨクヨするより、
前向いてあれこれ妄想していく方が楽しいもーん。


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