『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

政治にうとくてもできる意思表示

2020年05月20日 | 考える日々

photo by pixabay

このブログ、
毎日まいにち、目の前のことを書いてます。
鍋やヤカンがどーした、散歩がこーした、
こんな失敗しただの、人が暖かかっただの…。

世の中に疑問や不満がないわけではなくて、
自己顕示欲でも承認欲求でもない
…ことが多いと思う。

じゃあ、状況が大変な中で、
なんでまたこんなノンキな? というとね。
考えたいの。
「え?」って、気持ちがひっかかった事について。

不満や不安が充満している時って、
声高でわかりやすいこと言う人が出たら、
自分で考えずに、そっちに走りたくなるから。
戦前の日本しかり、ヒトラーしかり。

大きなことは考えられなくても、
「自分はこう感じる、こう考える」ということを
普段の暮らしのサイズで知っていくことは、
私にもできる「イヤな流れに抵抗する方法」だと思うから。
ささやかすぎるけど、何もしないより全然マシ。

政治や経済に詳しくても疎くても、
顔や頭が良くても悪くても、
社会的地位が高くても低くても、
あなたにも私にも、できる方法。

怖いのは、思考停止と、浮ついた熱狂と、
自分の中で育ってしまう怖れ。

目の前のことは、どんなことでも、
自分のものの見方、感じ方、考え方に気付き、
自分を育てていくための、最高の教材として使える。

自分の言葉で語れる人との間では、
意見の違いなんて、なんの困難でもない。
梅と桜は違う、というだけのこと。

自分の想いを言葉にして「ホントに?」って確かめようとする時には、
共通の仮想敵を作り出して叩いてるヒマなんてない。
正義という暴力を振りかざして他人を変えようとも思わない。

毎日、自分や目の前のことを整えてゴキゲンでいることは、
周囲と一緒に幸せになっていきたいと願う私の、
そして、政治や経済にうとい私にできる、
ささやかな意思表示、でもある。


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