夜、駅から自転車で帰る途中、
橋の上で何かの糸がハンドルにひっかかって切れた。
「もしかして、歩道にいたずら?
子どもがひっかかったら危ないわ」
と思って、念のため警察に電話しておいた。
パトロールのついでにでも
一応気をつけて見といてくださいね、と。
電話で一通り伝えて、
お風呂に入って寝ようと思ったら、
もう一回電話がかかってきて
「今から現場に来られますか?」。
え?いや、
もう寝ようと思ってるんですけど。
すでにお伝えした事がすべてです。
現場で新たにお伝えできることもないので、
ごめんなさい。
ひっかかった糸を取りに来られるというので着替え、
その時に渡そうと地図も用意しておいた。
それをお渡しして寝ようと思ったのに、
来られた方、上司から「連れてこい」と言われているようで、
なかなかお引き取りいただけない。
ちょっとー、もう寝るって言ってんじゃん!
行く目的を聞くと
「現場を指さした写真が必要なんです』
「糸の所有権を放棄する書類を書いてください」だと。
そんな理由で、夜中にわざわざ引っ張り出す??
街の安全に役立つならまだしも、
無意味なお役所仕事の書類のために⁈
「お時間取らせませんから」
「こうやって話しているより来ていただいた方が早いので」
そういう問題じゃないっしょ。
早く認めてラクになれ、っていう論理は、冤罪一直線ですよ?
ただ言われたままを繰り返す、
権限のない子どものおつかいに、
会話もむなしく、結局行きましたとも、ええ。
行って、現場で糸を指さしてる写真を撮られて、
「この糸の所有権を放棄します」っていう書類に指紋押さされて。
現場に行ってやったことは、たったそれだけ。
糸の放棄? 指紋?? ハァ???
ホント何なの?
迷惑だというのに選択肢を与えず夜中に連れだして、
自分の決まりを押し付けるのは、正義なのね?
中学校で「前髪はまゆげの上まで」「下着は白」
って強制されたのを思い出す、誰のためでもない決まり。
意味なんて問うな。従うまで解放しない。
現場に行って、上司の方にもお伝えしたけど、
日々街の安全のために動いてくださってる事には感謝してる。
「安全な街」は、もちろん私の願いでもある。
その硬直した煩雑な手続きが、市民の通報を減らすなら、
柔軟に運用して風通しを良くする気はありませんか。
素直な怒りを黙らせ、渾身の理性を発動さたせいで、
生命力が消耗して、ぐったりと帰宅。
家族に「あー、もやもやするーー」と話していたら、
夫は「お疲れ様(^^;)」と苦笑し、中学生の子どもは
「そんな事言われても向こうも困るでしょうよ」とあきれる。
周りにとってはその程度のささいな事で、
自分にとってだけ大問題だったんだ。
そうよ、ちゃんと家まで送ってくれたし、礼儀正しかった。
でも私は、昔も今も、
自分で納得してないのに力で強制される事や、
世の中の主流や大きなものに無自覚で従う事や、
人の言葉を自分の言葉と勘違いして話す事に、
ものすごーーく抵抗を感じるのよ。
だって自分で考えない時って、誰かがあおれば、
簡単に他人の自由を奪って傷つけるもの。
しかも、正しいと思って。
自粛警察、とか、戦争、とかもそうだよね。
…そっか。
ささいな労力と比べて、
大きな抵抗があったのは、
そこか。なるほど。
はい。さて。では。
自分も同じまな板に載せてみます。
そう言う自分が、
納得してないのにやってる事、無自覚でやってる事。
いくらでもある!
サボる、怖がる、放置する、出し惜しみする…。
誰に強制されてるわけでもないのに、
自分がブレーキになってること、いくらでもある。
「まわりと一緒にしあわせになっていきたい」と望むなら、
怠惰と怖れに無自覚すぎる。意気地ナシすぎる。
もっと自分のブレーキから「自由」になる必要がある。
ああ、だからこんなにも私は「自由」を求め、
その筋肉質な方法の一つとして
『自由の哲学』を学びたいんだ。
私、こんな事書きつつ、
今後もいたずらに遭遇したら、放置せずに電話すると思います。
街は安全であって欲しいから、その願いを叶える方法が通報ならば、
自分の怒りくらいは自由に乗り越えたいもの。
以上、「ん?」とひっかかった事について、
1、怒りの気分に振り回され、
2、のち、なんとか理性を取り戻し、
3、自分で考えた事と現実の折り合いを付け、
4、そこから自由になる
…という心の筋トレの実況中継を終わります。
あーしんどかった。
文章長すぎるやろ。
ほんとちっせーな、アタシ。
でも言葉にしたから自覚できた。
今日のところはヨシとしよう。
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